東藝術倶楽部瓦版 20170613 :「七草は源氏、平家は十五日」-上元に食す小豆粥

 

おはようございます。大分ご無沙汰しておりました。業務多忙につき、瓦版も中々更新できず、ご理解賜れば幸いです。

関東も梅雨に入り、雨の日が少しずつ増えてきていますが、朝晩は比較的涼しく、過ごしやすい日が続いています。

 

さて、本日のテーマは「上元(じょうげん)」です。本来であれば睦月の行事として紹介すればよかったのですが、私もうっかりして忘れていましたので、ここだけは新暦如月の行事として紹介しておきたいと思います。

 

以前、本メルマガで小正月の説明をしたことがありました。旧暦1月15日のことですが、新暦では2月上旬から3月上旬頃に当ります。その際、小正月の朝に小豆粥を食べる習慣があることも併せて紹介しました。『東都歳時記』に「上元御祝儀、貴賤今朝小豆粥を食す」とあるように、まさにこの「上元」とは小正月を指し、江戸時代にこの習慣が始まりました。

 

この「上元」の日に加え、「中元(ちゅうげん)」、「下元(かげん)」の日を合わせて「三元(さんげん)」と呼びます。元々は中国から伝わってきたもので、道教の行事として、上元の日には飾り灯篭を灯したり、花火を打ち上げたり、団子(元宵、団圓)を食べたりする習慣が今でもあります。上元が旧暦の1月15日、中元は旧暦の7月15日(新暦8月上旬~9月上旬)、下元は旧暦の1015日(11月上旬~12月上旬)です。「お中元」の季節というのは、この三元のうちの中元に由来するものです。

 

『守貞謾稿』には、「正月十五日、十六日 俗に小正月と云ふ 元日と同じく、戸をとざす。また、三都ともに、今朝(十五日)赤小豆粥を食す。京坂は此のかゆにいささか塩を加ふ。江戸は、平日かゆを食せざる故に粥を好まざる者多く、今朝のかゆに専ら白砂糖をかけて食すなり。塩は加へず。また今日の粥を余し蓄へて、正月十八日に食す。俗に十八粥と云ふ。京坂には、このことこれなし」とあります。

 

江戸では粥を食す習慣がなかったので、白砂糖をかけて食べ、京都や大坂では塩を入れた食べていたようです。現在の日本人は塩味にすることが多いように思われますが、皆さんは粥をどのようにして食べますか?ちなみに、中国では味付けはしません。ザーサイなどの漬物やつくだ煮のような味の濃いおかずと一緒に食べるのが一般的です。

 

旧暦十五日の月は満月、すなわち新月の「朔(さく)」に対して「望(ぼう)」と呼びます。ですから小豆粥を「望粥」とも呼びます。また望は「もち」とも読み、「餅」に通ずることから「餅粥」ともいい、小豆粥に餅を入れることもあります。小豆に餅といえば、お汁粉を思い浮かべる人もいるかと思います。また、江戸では粥に砂糖を入れることから、この小豆粥がお汁粉の原型かとも思いますが、どうやらお汁粉とは別のもののようです。

 

川柳に「七草は源氏、平家は十五日」というのがあり、人日(1月7日)に白い七草粥を食べるのに対して、上元(1月15日)には赤い小豆粥を食べる習慣になっていたことを喩えて詠んだものです。源氏の旗印は白旗、平家の旗印は赤旗だったことを知っているからこそ、庶民の間でもこうした川柳の洒落が通じたのです。江戸の人々の教養の高さに、改めて驚かされる次第です。

 

高見澤