東藝術倶楽部瓦版 20170714 :百敷の大宮人は暇あれや、桜かざして今日も暮らしつ-卯月といえば何と言っても「花見」!

 

おはようございます。今朝の東京も暑さが続きます。そろそろ梅雨明けかと思う日が続いていますが、まだ梅雨前線が北にあるようで、梅雨明け宣言にはもう暫くかかるようです。

 

さて、卯月、4月の行事と言って最初に思い浮かぶのは、やはり「花見」ではないでしょうか。東藝術倶楽部でも今年4月に横浜大岡川の花見勉強会を開催したところです(東藝術倶楽部ホームページ会員専用ページ参照)。お弁当やお酒を持参し、山野へ出かけ桜の花を観賞する習慣は、今でも変わらず日本各地で見ることができます。

 

しかし、今は行楽の一環として定着している花見ですが、もともとは桜の花の観賞などという風流なものではなく、3月3日の「上巳の節句」と同様に、祓のために山野に出かける宗教的儀式であったようです。日にちも3月3日なしは4日と決まっており、千葉県の一部では3月3日に「花見の勧進」という行事が行われていますが、ただ4月8日を「花見の日」として、祭礼の日の行事を行う寺院が多いようです。

 

「百敷(ももしき)の大宮人(おおみやびと)は暇(いとま)あれや、桜かざして今日も暮らしつ」と、奈良時代の歌人・山部赤人(やまべのあかひと)の歌にもあるように(『新古今和歌集』)、奈良・平安時代にはすでに花を見て楽しむ習慣があったようです。当時の歌にも花を詠んだものが多く、宮中では連日、花の宴がもようされ、花の木陰で詩歌を詠み、杯を酌み交わしていたということです。

 

慶長3年(1598年)に豊臣秀吉が京都醍醐寺の三宝院で行った花見は、いろいろと工夫を凝らした華やかで大々的なものであったことで知られています。とはいえ、花見もこの頃まではまだまだ庶民が楽しむようなものではなかったのかもしれません。

 

花見が庶民のものとして定着するのは、これもまた江戸時代に入ってからです。元禄時代(16881704年)には盛んに花見が行われ、かくして江戸は「花のお江戸」になっていきます。浮世絵にも花見を楽しむ庶民の姿が多く描かれています。

 

桜の品種改良も盛んに行われたのも江戸時代で、また、今でも桜の名所と呼ばれる多くのところに桜の木が植えられたのも江戸時代でした。当時、花見の名所として名高かった「忍岡(しのぶがおか)」、すなわち今の上野恩賜公園(台東区)の桜は天海大僧正(15361643年)によって植えられ、享保5年(1720年)には徳川吉宗によって浅草・隅田川堤(墨田区)や飛鳥山(北区)にも桜が植えられ、庶民の行楽行事として花見が奨励されたとのことです。このほかにも、江戸城下・近郊の花見の名所としては御殿山(品川区)、愛宕山(港区)、玉川上水(羽村市)などが有名です。

 

高見澤