東藝術倶楽部瓦版 20170823:入梅と梅雨入りは何が違う?

 

おはようございます。今朝の東京都心は晴れ、久しぶりにはっきりした天気になりました。都心では、8月1日から続いていた降雨の日が21日で途切れ、8月としては1977年に観測された22日に次ぐ記録となったようです。

 

そういえば、今年の梅雨は、九州などでは大変な豪雨で大きな被害が出ましたが、ここ東京では例年に比べ雨日和が少なかったように感じました。ところが、8月に入り突如長雨に見舞われ、時には肌寒く感じる日もありました。今年の気候が例年になくおかしいのは、いつもと比べ高気圧が違った場所に居座り、そのため偏西風の流れが変わってしまっているとのことだそうです。今年の台風5号が発生から18日間も存在した理由もそこにあるそうです。

 

ということで、本日のテーマは「入梅(にゅうばい)」です。入梅は雑節の一つで、もともとは二十四節気の「芒種」の後の最初の壬(みずのえ)の日、新暦の6月11日頃に当ります。現在では、太陽黄経80度を通過した日とされており、2017年は6月11日でした。この日は、文字通り暦の上での梅雨入りですが、実際の梅雨入りということではありません。梅の実が黄色く色付き、梅雨に入る頃という意味で、この日から約30日間が梅雨の期間になります。

 

稲作農家にとって、田植えの日を決めるには、梅雨の時期を知ることが大事です。今は気象情報が発達しているため、テレビやネットで梅雨の時期を知ることが容易ですが、江戸時代にはそうはいきませんので、暦の上に大体の目安として入梅という雑節を設けたのではないかと考えられています。

 

しかし、前述した通り、実際の梅雨は毎年一定でなく、毎回気象庁が梅雨入り宣言をいつ出すのかで迷っているのはご存知の通りです。テレビの気象予報士の解説をみても「梅雨に入ったとみられる」、「梅雨が明けたとみられる」とったように曖昧模糊とした表現になっていますよね。

 

当然のことながら、南北に長い日本では地方によって梅雨入り、梅雨明けは異なってきます。また、年によっても異なります。これを科学的に知ろうとした江戸時代の暦学者はさぞかし苦労したことでしょう。江戸時代中期の天文学者・西川如見(にしかわじょけん)〔慶安元年(1648年)~享保9年(1724年)〕は『百姓嚢』の中で、暦上の入梅が実際の梅雨入りと合致しないことを指摘し、「農民たるもの暦に頼りすぎて、田植え期を逸することがないよう注意せよ」と述べています。機械的に設けられた暦よりも、農民自身の実際の感覚や経験を重視しなさいということなのでしょうか。

 

中国でも「梅雨」という言葉はあります。というか、中国では梅の実が熟する頃の雨季を「梅雨(Mei-Yu)」と呼び、これが日本に伝わったと言われています。また、日本では黴が生えやすい時期なので「黴雨」と書いて「ばいう」と名付けられたとう説もありますが、やはり梅の収穫時期にあたる雨ということではないでしょうか。「つゆ」という呼び方については「露」からきているというもの、或いは梅の実が熟して潰れることから「潰ゆ(つゆ)」とするものなど、諸説あります。古くは「五月雨(さみだれ)」、「つゆ」、「ながし」などとも呼ばれていました。

 

梅雨に関連して「入梅鰯(にゅうばいいわし)」というものがあります。梅雨の時期に獲れる真鰯のことですが、脂が一番のっていて美味しい季節だとされています。

 

高見澤

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このページは、東藝術倶楽部広報が2017年8月23日 11:43に書いたブログ記事です。

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