おはようございます。今朝の東京は二、三日前に比べれば少し蒸し暑さを感じますが、それでも残暑を思わせる暑さは感じられません。このまま秋へと向かうようにも感じられます。
さて、本日のテーマは「四万六千日(しまんろくせんにち)」です。一般にはあまり知られていませんが、寺社に興味のある方にはお馴染みの縁日です。縁とは「結縁(けちえん)」、或いは「因縁(いんねん)」の事を指し、縁日には特定の仏や菩薩が、特定の日に特別に霊験あらたかになるように、信者の祈願と結び付くものと信じられているようです。
この四万六千日は、観世音菩薩の縁日(功徳日)で、一般的には毎年7月10日に各地の寺院・神社で行われています。元々は「千日詣」や「千日参」とも呼ばれ、この日に参拝すれば1,000日参拝したのと同じ功徳が得られるものとされていましたが、江戸時代中期の享保年間(1716~1736年)〔元禄年間(1688~1704年)との説もある〕頃から46,000日参詣したのと同じ功徳があるとされるようになり、「四万六千日」と言われるようになりました。
しかし、なぜそうなったのかの由来はよく分かっていません。最初に千日参が始められたのは京都の清水観音とされ、それが全国に広まっていき、四万六千日になったのは江戸時代の浅草寺ではないかと考えれています。享保20年(1735年)版の『続江戸砂子』には四万六千日と記されているようで、それまでは浅草寺でも千日参といわれてとのことです。安永9年(1780年)の『閭里歳時記』には「石原清水寺の観音四万六千二参といふ事あり」とあって、その頃にはすでに四万六千日と呼ばれるようになっていたことが分かります。
東京では浅草寺、護国寺の四万六千日(いずれも7月10日)、愛宕神社の千日詣(6月24日)が有名で、京都では愛宕神社の千日詣(7月31日)などがあります。中でも浅草寺(本尊は観世音菩薩)の四万六千日は、前日の7月9日から始まる「ほおずき市」とともに庶民に親しまれています。このほおずき市ですが、元々は茶筅が売られていたといわれ、それが文化年間(1804~1818年)頃に雷避けとして赤トウモロコシが売られるようになり、明治初期に東京芝の愛宕神社の地蔵尊千日詣で癪封じや虫封じの効能があるとして売られていたほおずきの市が移ってきたものです。
一方、鎌倉時代に源頼朝が奥州征伐の帰りに浅草で軍勢を休ませ、日射病で倒れた兵士にほおずきの赤い実を食べさせ元気づけたとの言い伝えもあるようです。
高見澤