東藝術倶楽部瓦版 20171018:長月とは、夜初めて長きをおぼゆるなりー「長月」の由来

 

おはようございます。今朝の東京は久しぶりに太陽が顔を出しています。相変わらず少し冷え込んでいますが、割と清々しさを感じます。

 

さて、本日からは9月の年中行事、和風月名では「長月(ながつき)」の話題に移りたいと思います。『日本書紀』や『万葉集』では、「九月」と書いて「ナガツキ」と読ませています。この語源は定かではありませんが、夜が次第に長くなる月ということで、「夜長月(よながつき)」とする説が昔から信じられてきました〔『下学集(かがくしゅう)』、『二中歴(にちゅうれき)』〕。また、文化5年(1808年)発刊の鳥飼洞斎の『改正月令博物筌(はくぶつせん)』には、「長月とは、夜初めて長きをおぼゆるなり。実に長きは冬なれども、夏の短きに対して、長きを知るゆえなり」とあります。

 

一方、平安時代中期に編纂された『拾遺和歌集(しゅういわかしゅう)』(『古今和歌集』、『後撰和歌集』に次ぐ三番目の勅撰和歌集)には、「夜昼の数はみそぢにあまらぬを など長月といひはじめけむ」〔凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)、貞観元年(859年)?~延長3年(925年)?」〕という歌が載っており、この歌の意味は、「1カ月の日数が30日を超えることがないのに、なぜ長月というのか」、という疑問を呈した歌なので、当時は夜が長いという理由からという理解が一般的でなかったことが分かります。

 

江戸時代の賀茂真淵〔元禄10年(1697年)~明和6年(1769年)〕は、稲が実りを迎える月であることから、「稲刈(いなかり)月」説(『語意考』)を、本居宣長〔享保15年(1730年)~享和元年(1801年)〕は、同様の解釈により、「稲熟(いなあがり)」説(『詞の玉緒』)をそれぞれ唱えています。この他にも、稲穂が長く満ち成るという意味で、「穂長月(ほながつき)」から来ているという説もあります。

 

諸説ありますが、実際のところはどうなのでしょうか? 旧暦9月は菊の花の盛りにあるので「菊月」、或いは紅葉の季節なので「紅葉月」、「木染月(きぞめづき)」などの呼ばれ方もあり、漢語では「季秋」、「無射(ぶえき)」、「玄月(げんげつ)」などとも言われています。いずれにせよ、季節が大きく変化する時期であることは間違いありません。

 

高見澤

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このページは、東藝術倶楽部広報が2017年10月18日 09:09に書いたブログ記事です。

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