東藝術倶楽部瓦版 20171019:邪気を払い長寿を祝う陽の極が重なる日ー「重陽」

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おはようございます。今朝の東京は雨、太陽が見えたのも昨日の1日間だけでした。この天気の不安定さはいつまで続くのでしょうか?政治、経済、社会も不安定な日本を象徴するような天気です。本日の午後から明後日まで北京に行ってきます。明日のメルマガはお休みさせていただきます。

 

さて、長月の最初を飾るテーマは、「重陽(ちょうよう)」です。これは以前も紹介したことのある「五節句」のうちの一つで、旧暦9月9日を祝う節句です。

 

中国では、陰陽五行説により昔から数字の偶数が「陰」、奇数が「陽」とされてきました。そのうち、9月9日はその陽数の極である「9」が重なる日ということで、大変目出度い日とされ、「重陽」、または「重九(ちょうきゅう)」とも呼ばれるようになりました。前漢(西漢)の時代(BC206年~AD8年)から重陽の節句は正式な行事として定められていたようで、当時は盛大に行われ、2~3日続いたと言われています。この日には長寿を願って菊の花を飾り、香りの高い菊酒を酌み交わし、高い丘などに登って「茱萸(しゅゆ)」(かわはじかみ)の実をさしはさんで邪気を払う習慣がありました。

 

日本へは平安時代の初めに中国から伝わってきたとされ、宮中では儀礼として「観菊の宴(重陽の宴)」が催され、長寿を祝って杯に菊花を浮かべた酒を酌み交わし、群臣に詩歌を作らせていました。江戸時代には幕府によって「五節句」が制定されたことは以前にも紹介した通りですが、この重陽はその中でも最も公的な性質を供えた行事になっていたようで、武家では菊の花を酒にひたして飲み、民間では粟ご飯を食べる風習となっていました。

 

旧暦9月9日は、新暦では10月中旬から下旬で、今年(2017年)は1028日に当ります。この季節は収穫も終わり、農民の間では収穫祭が行われる時期です。栗など秋の味覚も味わえることから、「刈り上げ節供」、「栗の節句」とも呼ばれていたようですが、この頃の花と言えばやはり「菊」ですから、今でも「菊の節句」と呼ばれています。古来、中国では菊は長生きの効用がある花と考えられ、「翁草(おきなくさ)」、「千代見草(ちよみくさ)」、「齢草(よわいくさ)」などとも呼ばれ、積極的に食されてきました。今の日本では、菊は観賞用としてのイメージが強いですが、「食用菊」のように食用として栽培される菊もあり、中国では菊の花をお茶にして飲む「菊茶」の習慣が続いています。夏の暑い時期には清涼感が増して心地よいですね。

 

日本では、「9」の数字は「苦」につながることから忌み嫌われがちですが、重陽の風習の名残でしょうか、この日を「御九日(おくにち)」、9月9日・19日・29日を「三九日(みくにち)」として祝う地方もあります。九州地方では、「9日」を「くんち」と呼んでいる地方があり、有名な「長崎くんち」や「唐津くんち」は、元は旧暦の重陽の節句の日に行われていたことが、この名前の由来になっという説もあるようです。

 

高見澤

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このページは、東藝術倶楽部広報が2017年10月19日 08:46に書いたブログ記事です。

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