東藝術倶楽部瓦版 20171106:こむな夜か又も有うか月に雁ー「初雁」

 

おはようございます。時の経つのは早いもので、11月に入ったと思いきや、もうすでに6日です。今年もあと2カ月を切り、慌ただしい1年がまた過ぎようとしています。仕事に追われつつも、生活を楽しむよう努めたいところです。

 

さて、本日は「初雁(はつかり)」について紹介していきたいと思います。「雁」と言えば、東藝術倶楽部の皆様の中には、歌川広重の描いた「月に雁」を思い浮かべる方が少なくないと思います。この絵は、秋の夜の一場面を描いたもので、1949年に切手趣味週間の記念切手のデザインとしても使われ、日本人にはお馴染みの浮世絵です。この絵には「こむな夜か又も有(あろ)うか月に雁」という句が添えられています。

 

「雁(かり、がん)」は、カモ目カモ科の水鳥の総称で、一般的には白鳥より小さな大型のカモを指します。世界では15種、このうち日本には主に3種が飛来します。夏にシベリア方面で繁殖し、秋に日本列島に渡って来るのは主にマガン、ヒシクイ、コクガンなどです。宮城県北部や石川県、島根県などが主な越冬場所になっていますが、日本全国に飛来する約10万羽のうち、9割が伊豆沼・内沼、蕪栗沼など宮城県北部で越冬することから、宮城県の県鳥にもなっています。「グワン、グワン」、或いは「カリ、カリ」と聞こえる鳴き声から雁と呼ばれるようになったとも言われています。

 

その年、初めてシベリア方面から渡ってきた雁のことを「初雁」と呼びます。東北地方では毎年9月から10月、九州地方では11月頃になります。その初雁の鳴き声を「初雁が音(初雁金)」と言い、俳句の秋の季語にもなっています。群をなして渡ときは、一直線になったり、鍵型になったりします。これを「雁の棹(さお)」、「雁の列」と言います。兵法にいう「雁行型」の陣形というのは、この雁が群れをなして飛行する姿から名付けられたものでしょう。一般に夜間に渡ることが多く、このため書画の題材としても「月に雁」というのが適当であったのかもしれません。

 

江戸時代、雁の狩猟は制限されていました。当時、雁は大変なご馳走とされ、初雁は宮中にも献上されたそうです。江戸時代前期の本草家・人見必太(ひとみひつだい)〔(1642年)頃~(1701年)〕が著した『本朝食鑑』〔元禄8年(1695年)刊行〕には、「近世(ちかごろ)、江都の官鴈(雁と同じ)で、始めてとった鴈は初鴈という。先ず禁内に献上し、次に公侯百官に従って賜わる。公侯はこれを拝賜して大饗宴を設けるが、鴈の披(ひらき)という。こういうわけで、わが国では、鶴、鵠(ぐぐい)に次いで鴈を賞するのである。鴻(ひしくい)・鷹は、関東の産を上品とし西国の産は美としない」とあります。「鵠」とは白鳥のことで、江戸時代には鶴や白鳥を食べていたことが分かります。「鴻」はコウノトリではなく、雁の仲間のヒシクイのことだそうです。

江戸時代は制限されていた雁の狩猟ですが、明治以降は雁が狩猟の対象となり、乱獲によって生息数が大幅に減少しました。そのため、1971年に国の天然記念物に指定され保護されるようになりました。明治以降の日本は、こうした点でも何かと問題がありました。

 

ちなみに、「落雁(らくがん)」という和菓子がありますが、この名前の由来は、雁が降りる姿を言葉として表現したものだそうです。また、小江戸と呼ばれる川越の城、川越城は、又の名を「初雁城」と呼ばれていて、今でも「初雁」の地名が残っています。この辺りのお話しについては、また別の機会に設けたいと思います。

 

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このページは、東藝術倶楽部広報が2017年11月 6日 09:44に書いたブログ記事です。

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