東藝術倶楽部瓦版 20171127:皇室の大祭ー「神嘗祭」

 

おはようございます。先週は1週間、日本経済界の大型訪中団に同行し、北京、広州、深圳に行ってきました。テレビのニュースでご覧になった方もいるかと思いますが、訪中団一行は李克強国務院総理と会見することができ、また非常に友好的なムードのなかで、中国側の政府機関や企業と交流を行うことができました。日中関係が改善の方向にあることが伺える訪中となりました。そして、昨晩、広州から無事東京に帰ってきました。現地での平均睡眠時間は3時間、行き帰りの飛行機の中でも月刊誌の原稿の編集・校正と、とにかくメチャクチャ忙しい日々が続きました。今朝も早くから出勤、有給休暇どころか今回の代休も満足に取れるかどうか...です。

 

さて、本日は「神嘗祭(かんなめさい)」について紹介したいと思います。神嘗祭は、伊勢神宮の数ある祭儀の中でも一番の大祭とされ、「しんじょうさい」、「かんにえまつり」とも称されています。皇室の大祭であり、その年に収穫した新しい米で造った神酒と神饌とを伊勢神宮に奉り、五穀豊穣を感謝する儀式です。例年、1015日から17日に行われます。「お伊勢大祭」は神嘗祭とあわせて行われ、「おかげ参り」の行列や民謡大会などが行われています。古くは旧暦9月11日に勅使に神酒と神饌を授け、17日に供え奉っていましたが、明治12年以降は新暦1017日に執り行われるようになりました。

 

もともと神嘗祭は天照大御神が天上の高天原で「新嘗(にいなめ)」を食したという『古事記』の神話に由来しており、その年に収穫した新穀を「由貴(ゆき)〔清浄な穢れのない〕の大御饌(おおみけ)〔神、天皇が召し上がる食事〕」として、天照大神に奉る祭りです。新嘗とは、秋に新しく獲れた穀物を神に供えて、天皇自らもそれを食することで、これについては改めて「新嘗祭(にいなめさい)」のところで紹介したいと思います。

 

神嘗祭は、伊勢神宮鎮座以来の歴史をもち、八握穂(やつかほ)にまつわる真名鶴(まなづる)伝説、五十鈴川のほとり家田(やた)の御常供田(みじょうくでん)などの伝承に彩られています。また、『大宝令』には既に国家の常典とされていたことが記されており、『延喜式』にも「践祚大嘗祭(せんそだいじょうさい)」に次ぐ中祀(ちゅうし)と定められた国家的な重儀と位置付けられていました。

 

祭儀は、先ず豊受(とようけ)大神宮〔外宮〕で1015日宵と16日暁に由貴大御饌が供進され、16日正午に勅使が参向して幣帛(へいはく)を奉納し、その夕に御神楽(みかぐら)が奏せられます。次に皇大(こうたい)神宮〔内宮〕では、1日遅れてそれぞれの儀が執り行われます。

 

幣帛の儀は、元正天皇(在位715724年)の頃に遡ることができるといわれ、後土御門天皇(在位14641500)の時に一時中絶しましたが、後光明天皇(在位16431654年)の時に再興されました。孝明天皇の元治元年(1864年)からは、荷前調絹(のぎきのみつぎのきぬ)や幣馬が奉納されるようになりました。

 

この神嘗祭の当日は、宮中においては、天皇の神宮御遥拝(じんぐうごようはい)の儀があり、賢所(かしこどころ)において親祭が行われます。戦前までは、この日は国の大祭日とされていましたが、戦後は廃止となり、現在は宮中と伊勢神宮だけで儀式が執り行われています。

 

神嘗の「嘗(なめ)」は、新嘗の「嘗」と同じで、「神の饗(かみのあえ)」が変化したものと言われています。また、「なめ」は新穀を意味する「贄(にえ)」の変化とする説もあります。「饗えす(あえす)」は、食べ物を調えてもてなす意味の古語です。

 

高見澤

2020年4月

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このブログ記事について

このページは、東藝術倶楽部広報が2017年11月27日 09:58に書いたブログ記事です。

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