おはようございます。最近、本メルマガで送付できる容量が増えたこともあり、昨日は試しに浮世絵の画像を貼り付けてみましたが、何とかうまく送信できたようです。今後は、機会あるごとに画像を貼り付けてお送りしたいと思います。
さて、本日は「鞴祭(ふいごまつり)」について紹介していきたいと思います。鞴祭は、元々は旧暦11月8日に、鍛冶屋、刀工、鋳物師など、鞴(ふいご)を使う職人たちの祭日です。職人たちは、この日は仕事を休んで稲荷神社に詣で、お神酒、ミカン、赤飯などを供えて鞴を清めます。
鞴とは、昔から金属の精鉄や加工には欠かすことのできなかった火を起こすための道具です。鞴の語源は、革袋を使って送風した「吹き皮(ふきかわ)」が訛ったものといわれています。圧縮された空気を送り出す木箱を使った「箱鞴(はこふいご)」を大型化した足踏み式の鞴を「踏鞴(たたら)」と呼ぶことから、鞴祭は「踏鞴祭(たたらまつり)」とも呼ばれています。鞴祭は京や江戸で特に盛んで、場所によっては12月8日や4月8日に行うところもあるようです。
「お火焼きや霜うつくしき京の町」
江戸時代中期の俳人・与謝野蕪村〔享保元年(1716年)~天明3年(1784年)〕の句です。毎年11月には各地の神社で「御火焚・御火焼(おひなたき)」と称される火を焚く神事が行われます。鍛冶屋や鋳物師ばかりではく、風呂屋や湯熨屋(ゆのしや)など火を扱う商売の家でも庭火を焚き、稲荷神社に詣でてお札を受け、仕事場に貼って鞴を清めて注連縄(しめなわ)を張り、お神酒や餅を供えたそうです。
稲荷は元々は農耕の神、穀物の神とされていますが、鍛冶屋の神ともされた訳には、食物を調理するには火が必要なことから火の神に転じ、さらにそれが火を操る職業である鍛冶屋の守護神になったと考えられています。
江戸の町には「町内に伊勢屋、稲荷に犬の糞」と川柳に詠われるほど稲荷神社の数が多く、鞴祭も盛んに行われ、その際に欠かせないミカンの需要も相当なものだったようです。江戸時代、紀伊国屋文左衛門が嵐をおして紀州から江戸に船でミカンを運び大儲けしたと言われますが、これこそ鞴祭のためのミカンだったのかもしれません。
高見澤