おはようございます。今年も残すところあと半月ちょっととなりました。今朝の東京は少し暖かく、明日から冷え込むとの予報です。それにしても先週の東京江東区の富岡八幡宮で起きた宮司殺害事件は、今の信仰というものを考えさせられる事件ではないでしょうか。本来は、人を導く教えを説かなければならない立場の者が、執着と驕りを脱しきれず、あのような凄惨な事件を起こすほどの醜い姿を世間に曝してしまったのです。いわんや導かれる人たちは...。もはや神社には神はおらず、寺院にも仏はおらずの状態ではないかと思う次第です。
さて、本日は「酉の市(とりのいち)」について紹介したいと思います。酉の市とは、毎年11月の「酉の日」に、各地の鷲(おおとり)神社(大鳥神社)で行われる祭礼のことです。東京では、台東区浅草にある鷲神社や新宿区にある花園神社の酉の市が有名です。神社に神はおらずと言ったばかりですが、それはそれとして、日本の伝統文化ですので、アシカラズ!
11月の酉の日は1カ月の間に2日または3日あり、最初の酉の日を「一の酉」、次を「二の酉」、三番目を「三の酉」と呼んでいます。「お酉様(おとりさま)」とも呼ばれますが、正式には「酉の祭」と書いて、「とりのまち」と言っていたそうです。
昔から、三の酉まである年は火事が多いと言われています。これは酉(鶏)のとさかが赤いことから家事を連想されたものと言われますが、その真偽のことはよく分かりません。ちなみに今年(平成29年)は一の酉が11月6日(月)、二の酉が11月18日(土)、三の酉が11月30日(木)と、三の酉までありました。果たして例年に比べ火事は多かったのでしょうか?
鷲神社の本社は大阪府堺市にあります。鷲神社は「天日鷲命(あめのひわしのみこと)」、「日本武尊(やまとたけるのみこと)」を祀る神社です。天照大御神(あまてらすおおみかみ)が天之岩戸(あまのいわど)に隠れた際に、天宇受売命(あまのうずめのみこと)が岩戸の前で舞ったという日本神話は皆さんもご存知でしょう。そのとき「弦(げん)」という楽器を司る神がいて、天手力男命(あまのたぢからおのみこと)が岩戸を開いた際に、その弦の先に鷲がとまったので、神々は夜を明るくする瑞兆を現した鳥だということで大いに喜び、それ以降弦を司る神は「鷲」の一字を入れて「鷲大明神」、「天日鷲命」と称されるようになったとのことです。天日鷲命は、諸国の土地を拓き、開運、殖産、商売繁盛に御神徳の高い神として鷲神社の地にお祀りされました。
その後に、日本武尊が東夷征討に向かう際に社に立ち寄り戦勝を祈願し、志を遂げての帰途、社前の松に武具の熊手をかけて勝利を祝ってお礼参りをしました。その日が11月の酉の日であったとされています。
「春を待つ ことのはじめや 酉の市」
江戸時代前期の俳諧師、宝井其角(たからいきかく)〔寛文元年(1661年)~宝永4年(1707年)〕の句です。浅草にある鷲神社は末社ですが、江戸時代には武運の神として武士の参詣が多くなり、後に商売繁盛の神として、江戸庶民の信仰を集めるようになりました。今では、浅草の鷲神社で行われる酉の市の方が有名になってしまいました。神社の境内で商売繁盛を祈って立つ酉の市では、「福をかきこむ」、「福をとり(酉)こむ」という意味で、縁起物として農具の熊手、おかめ(お多福)、入り船(宝船)などが売られています。
高見澤