東藝術倶楽部瓦版 20180213:勉強会に向けてその①ー江戸城基礎知識

 

おはようございます。昨晩、北京から戻ってきました。三連休を潰しての出張でしたが、仕事自体は順調に推移し、後は東京で1年間の成果をどう報告書にまとめるかが課題です。国の補助金事業ですから、2月末までにまとめる必要があります。それにしても、北京の空気は大分良くなりました。先月の出張時もそうでしたが、毎日青空を拝むことができ、中国政府も大気汚染に本腰を入れていることが分かります。北京の美味しい料理と会議室での会議ばかりで、体重も1キロ増えてしまいました。

 

さて、本日のテーマですが、今続けている「人生儀礼」の話は一旦中断し、3月3日の「江戸城の門」の勉強会に向け、「江戸城」について予習を兼ねて紹介しておければと思います。

 

先ずは江戸城の基礎知識からです。江戸城は、今は東京都千代田区、昔は武蔵国豊嶋郡江戸にあった平城で、江戸時代には一般に「江城(こうじょう)」と呼ばれていましたが、正式名称は「千代田城」、或いは「舞鶴城(ぶかくじょう)」とも呼ばれます。現在は天皇の居住地として「皇居」となっていますが、今の原型は徳川氏の居城で、江戸幕府の所在地でもありました。

 

江戸時代は本丸、西の丸、三の丸、紅葉山、吹上御苑、代官町を合わせた中心部の面積は22.22万坪(73.32万㎡)で、周囲は2015間(2,200m)、総面積は29.55坪(95.88万㎡)、総構周囲約4里(約16km)の日本最大面積の城郭でした。現在は東西約5.5km、南北約4km、周囲約14kmとなっており、皇居を内堀通り沿いに1周歩くと2時間もかかりません。

 

明治維新以降、東京奠都(てんと)によって宮城(きゅうじょう)となり、吹上御苑が御所、旧江戸城西の丸が宮殿の敷地になっていて、一般には入ることはできません。江戸城の東側の旧江戸城中心部、本丸、二の丸、三の丸の跡は皇居東御苑として開放(曜日等によって入れない日もあります)されており、冬季の入場時間は午前9時から午後4時(入園午後3時30分まで)です。入場できる門は大手門、平川門、北桔橋門(きたつりばしもん)で、入場の際には荷物検査があり、入り口で札を受け取り、出るときにその札を返します。また、南東側の皇居外苑と北側の北の丸公園は常時開放され、それらの外側は一般に利用できる土地になっています。

 

上の図は、皇居東御苑として開放(一部予約しないと入れないところもあります)されている場所です。次回は、江戸城の歴史について紹介します。

 

高見澤

2021年1月

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このページは、東藝術倶楽部広報が2018年2月13日 10:37に書いたブログ記事です。

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