東藝術倶楽部瓦版 20180511:江戸幕府幕政の実質的責任者「老中」

 

おはようございます。今日の東京都心は清々しい朝を迎えています。昨日の昼に、日本の経済団体と日中友好7団体による李克強総理歓迎レセプションが開催され、参加してきました。中国の首相としては7年ぶりとなったことから、その歓迎ムードもひときわだったように思えました。これによって日中関係、更には東アジアの関係改善の進展が期待されるところです。

 

さて、本日は幕閣の中の「老中」について紹介したいと思います。老中は、当初は「年寄衆」とも呼ばれ、また「宿老」ともいわれていました。三河時代の徳川家で家政を司っていた宿老の年寄を「老」の文字で表し、仲間を表す「中」の字と合わせて老中としたのが、その由来であると言われています。

 

老中の任に就くことができるのは、当初は家禄が2万5,000石以上の譜代大名とされていましたが、後に譜代大名であれば家禄に関係なく才能次第で同等の役職である「老中格」に登用される道が開かれました。老中格は、老中に比べ地位は一段下がりますが、職掌や職責は老中と同等に扱われていたようです。

 

幕政において、老中は実質的な責任者として位置付けられており、老中ら幕閣が評議で決めた判断を形式的に将軍が認可することになるので、実質的に老中の決定が幕府の決定となることが一般的でした。その業務範囲は朝廷関係、外交、知行割り、大規模普請、大名からの届出や願い事への対応、司法、財政など多岐に渡っていました。老中の管轄下にある役職は「老中支配」と呼ばれ、概ね以下の通りです。

〔江戸城回り〕

御側用人、留守居役、高家、御三卿家老、大番頭

〔江戸市中取り締まり〕

江戸町奉行

〔大坂関連〕

大坂定番、大坂加番、大坂城目付、大坂船手、大坂町奉行

〔専門奉行〕

勘定奉行、勘定吟味役、作業奉行、普請奉行、小普請支配、旗奉行、槍奉行、留守居番、大目付、交代寄合

〔駿府関連〕

駿府城代、駿府加番、駿府町奉行

〔朝廷関連、京都関連〕

禁裏付、仙洞付、京都町奉行

〔遠国奉行〕

伏見奉行、長崎奉行、奈良奉行、伊勢山田奉行、日光奉行、堺奉行、浦賀奉行、新潟奉行、佐渡奉行、箱館奉行、羽田奉行、甲府勤番支配

〔御用絵師〕

表絵師、奥絵師

 

老中は、一般に4~5名がその職位にあり、通常業務は月番制でそのうちの1人が政務を行っていました。江戸城本丸御殿表にある御用部屋を詰所とし、重要案件は老中一同の連署(合議)によって決定していました。老中の中でも、先任者や家門など特別な家柄の者から選ばれる「老中首座」が全体を統括していました。また、延宝8年(1680年)に5代将軍綱吉が農政・財政等の経済部門を専管する「勝手掛老中(かってがかりろうじゅう)」を設置します。時に空席の機関もありましたが、在任者がいる際には月番に関わりなく財政問題に当たっていたとのことです。



 

老中の屋敷は西の丸下にあり、在任中はそこで暮らしていました。老中の勤務時間は朝四つ(午前10時頃)から昼八つ(午後2時頃)までの4時間です。しかし、屋敷には請願や陳情で各藩の使者や旗本が訪れることも少なくなく、実際の仕事の時間は相応に長かったようです。



江戸時代に老中を務めた大名は数多くいますが、有名どころとしては8代将軍・吉宗の享保の改革を支えた水野忠之(三河岡崎藩5万石)、10代将軍・家治の下で幕政改革を行った田沼意次(遠江相良藩5.7万石)、11代将軍・家斉の下で寛政の改革を行った松平定信(陸奥白河藩11万石)、12代将軍・家慶の時代に天保の改革を行った水野忠邦(遠江浜松藩6万石)、幕末の動乱期、13代将軍・家定の時代に安政の改革を断行した阿部正弘(備前福山藩10万石)などがいます。

〔寛政の改革では美人画に遊女以外の名前を記すことが禁じられた。〕



尚、諸藩において、幕府の老中に相当する役職は一般に「家老」と呼ばれていますが、藩によっては老中という言葉も使っていたようです。

 

高見澤

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このページは、東藝術倶楽部広報が2018年5月11日 09:26に書いたブログ記事です。

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