東藝術倶楽部瓦版 20180515:御側御用人と御側御用取次は総理秘書官と総理補佐官に相当??

 

おはようございます。今朝の東京都心は晴れ、朝方は比較的涼しかったのですが、日中は暑くなりそうな兆しです。そういえば、昨晩、新潟市の女児殺人事件の容疑者が逮捕されたとのニュースが入ってきました。礼儀正しく、優しいと評判の人物だったようですが、精神的には何らかの闇があったのかもしれません。魑魅魍魎が跋扈するこの世界、自分が加害者や被害者にならないよう自分を見失うことなく、意識をもって行動することが大切です。

 

さて、本日は江戸幕府の役職の大名役である「御側御用人(おそばごようにん)〔側用人(そばようにん)〕と「御側御用取次(おそばごようとりつぎ)」について、紹介していきたいと思います。

 

江戸時代、征夷大将軍の側近として、「側衆(そばしゅう)」、或いは「御側衆(おそばしゅう)」と呼ばれる役職がありました。幕閣をはじめとする幕府の役人の勤める場所が江戸城本丸の「表」であるのに対し、側衆の勤めるところは本丸の「中奥」、すなわち将軍の公邸になります。3日に一度の宿直勤務があり、将軍の就寝中の当番を務め、主に将軍の警護や就寝中の将軍への取り次ぎなどの役を担っていました。3代将軍・家光、或いは4代将軍・家綱の時代に始まったとされる側衆の起源ですが、名実ともに定着したのは5代将軍・綱吉の時代だったようです。将軍の信任を受けて、御側御用人や御側御用取次に取り立てられることもあっりましたが、一般には2,000石から3,000石の上級旗本が番方系の役職を務めた後のアガリの役職とされていました。

 

この側衆とは別に、将軍の側近職として設けられていたのが、この御側御用人と御側御用取次です。先ず御側御用人ですが、定員は1名で、将軍の命令等重要事項を老中に伝達し、老中よりの上申など重要問題を将軍に取り次ぐことが主な役目で、側近として意見の具申を行わせることもありました。貞享元年(1684年)、大老・堀田正俊が若年寄の堀田正休に刺殺されて以降、将軍の居室が大老や老中の御用部屋から遠ざけられ、その取次をする御側御用人の役割が特に重要となりました。

 

この役職が設けられたのは、綱吉が将軍就任の翌年・天和元年(1681年)に館林藩主時代の家老・牧野成貞を登用したことが始まりです。成貞はその後従四位下侍従の官位を受け、石高も逐次加増されて下総関宿藩7.3万石の藩主になり、老中と同等の待遇を受けるなど、近侍の地位は著しく高まることになりました。以来、5,000石級の旗本で将軍の側衆として枢機に与える者の中から選任されるようになります。

 

御側御用人は、家柄よりも才能を重んじて登用されたこともあり、将軍の恩寵を背景に往々権勢を振って幕政を左右する者もありました。柳沢吉保、間部詮房(まなべあきふさ)、田沼意次などはやがて老中、老中格へと出世していきます。天和元年以降幕末まで、この職に就いた者は30名ほどですが、必ずしも常置されていたわけではありません。

 

次に御側御用取次ですが、こちらは8代将軍・吉宗が将軍に就任した際に、紀州藩年寄・小笠原胤次、御用役・有馬氏倫、同・加納久通の紀州藩士3名を江戸幕府の側衆に採用し、申次役に任じたことから始まりました。定員は側衆から特に将軍が任命した3名(実際には1~5名)とされていました。側衆が宿直勤務を原則とするのに対し、御側御用取次は日勤とされ江戸城中奥の談事部屋を詰所としていました。もともとこの御側御用取次は高級旗本の役職でしたが、拝命後にある程度の時を経てから大名に取り立てられる場合が多かったので、ここでは大名役として取り扱うこととします。

 

御側御用取次の職務は中奥の取り仕切りで、将軍と老中以下の諸役人との取次役、将軍の政策・人事面での相談役、目安箱の取り扱い、御庭番の管理などでした。普通の側衆は決定事項の事務処理に当りますが、御側御用取次は未決事項の立案・審議に参画していました。御側御用人が今の総理秘書官に相当するとすれば、御側御用取次は総理補佐官といったところでしょうか。もちろん、その業務内容は今と昔ではまったく異なりますが、位置付けということであれば、そのような感じでしょう。

 

こちらも家禄2,000石以上の中・下級幕臣が御側御用人として就任しますが、側近としての信任の厚さから加増されることが少なくなく、就任した46人中の2割にあたる9名(有馬氏倫、大岡忠光、田沼意次、稲葉正明、水野忠友、加納久周、林忠英、本郷泰固、平岡道弘)が1万石以上の大名となり、そのうち6名(大岡忠光、水野忠友、加納久周、林忠英、本郷泰固、平岡道弘)が若年寄、3名が側用人(大岡忠光、田沼意次、水野忠友)、2名(田沼意次、水野忠友)が老中に昇進しています。


〔田沼意次は御側御用取次から老中まで上り詰めた。〕

 

高見澤

2018年5月

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このページは、東藝術倶楽部広報が2018年5月15日 08:09に書いたブログ記事です。

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