東藝術倶楽部瓦版 20180529:新たな視点で忠臣蔵を見る-「高家」

 

おはようございます。今朝の東京都心の天気は雲が広がり、あまりすっきりした感じではありません。梅雨の時期も近づいているような趣きで、しばらくはこういった日が続くのでしょうか。昨日の講演も無事終了しましたが、準備にそれなりに時間と労力がとられますので、その分、普段の仕事の処理が滞ってしまい、落ち着く暇もありません。

 

さて、本日は以前、旗本のところでも若干紹介した「高家」について、少し詳しく紹介していきたいと思います。

 

高家は、高家という役職に就くことのできる家格の旗本を指すと同時に、江戸幕府での儀式や典礼を司る老中支配の旗本役の役職でもありました。その主な職務は伊勢神宮・日光東照宮・久能山東照宮・寛永寺・鳳来山東照宮への将軍の代参、幕府から朝廷への使者、京からの勅使・院使の接待、更には接待に当たる勅院使(饗応役の大名)への儀典指導など、朝廷と幕府との間の諸礼でした。

 

元々高家というのは、格式が高く、由緒正しい家柄、いわゆる名門・名家を指す言葉でした。ですから、家康が室町時代以前から続く名門の子孫を臣下に従え、対朝廷政策として活用することは、朝廷や公家に対して幕府の権威を示す意味でも大きなインパクトがあったものと考えられます。

 

この役職に就くことができるのは高家の家格を持つ「高家旗本」で安永9年(1780年)に26家がその家格となり幕末までその数は変わっていませんが、実際に高家職に就いている人員数は年代によって異なります。延宝年間(1673年~1681年)には9人、安政5年(1858年)には17人が就いていました。高家旗本のうち、高家職に就いている家を「奥高家」、非役の家を「表高家」と呼んでいました。また、高家の当主は原則として高家職以外の幕府の役職に就くことはできませんでした。

 

高家職は朝廷への使者として天皇に拝謁する機会があることから官位は高く、奥高家に就任すると従五位下侍従(じじゅう)の位が与えられます。しかし、表高家は昇殿の必要がないので叙任されることはありません。一般に奥高家を務める者の官位は従五位下から従四位下の侍従で、後で説明する「高家肝煎」になると従四位上左衛権少将にまで昇る者もいました。ちなみに、大名の大半は従五位下です。

 

江戸幕府の典礼に関する職制は段階的に整備されていきました。慶長8年(1603年)に、家康が征夷大将軍宣下の式典作法を大沢基宿(おおさわもといえ)に管掌させたのが高家の始まりといわれていますが、その当時はまだ高家とは称してはいません。その後、慶長13年(1608年)に吉良義弥(きらよしみつ)が基宿とともに典礼・伝奏の御用に加わります。元和2年(1616年)には、一色範勝(いっしきのりかつ)が大御所・家康の下で幕府饗応役に任じられます。範勝は、晩年には従五位下式部少輔に任じられますが、就任当時は官位はありませんでした。この高家という名称や慣行が定着したのは、秀忠の元和(1615年~1624年)・寛永年間(1624年~1645年)だと考えられています。

 

天和3年(1683年)、奥高家の中から特に有職故実や礼儀作法に精通していた大沢基恒、畠山義里、吉良義央の3名が高家肝煎に選出されます。俗に「三高」といわれますが、高家肝煎の家は固定されたわけではありません。高家肝煎は、通常選ばれた3名が月番で職務を主宰していました。

 

高家の家格をもっていた26家は以下の通りです。

〔藤原北家〕

1.大沢家:藤原北家中御門家頼宗流、3,550

2.上杉家:藤原北家勧修寺流、1,490

3.大友家:藤原北家近藤氏流、1,000

4.長澤家:藤原北家日野流、1,400

5.中条家:藤原北家長良流、1,000

6.日野家:藤原北家日野流、1,530

7.(藤原)前田家:藤原北家閑院流、1,400

8.六角家:藤原北家日野流、2,000

〔清和源氏〕

9.(三河)吉良家:清和源氏足利流、4,200

10.(武蔵)吉良家:清和源氏足利流、1,420

11.今川家:清和源氏足利流、1,000

12.品川家:清和源氏今川家傍流、1,500石→300

13.畠山家:清和源氏足利流

  ①河内半国紀伊守護畠山氏 5,000

  ②能登守護畠山氏 3,120

14.武田家:清和源氏義光流、500

15.土岐家:清和源氏頼光流

  ①美濃守護土岐氏 700

  ②土岐頼元子孫 700

16.宮原家:清和源氏足利流、1,040

17.最上家:清和源氏足利流、5,000

18.由良家:清和源氏新田流、1,000

19.横瀬家:清和源氏新田流、1,000

20.(富江)五島家:清和源氏貞純親王を祖、1,420

〔村上源氏〕

21.戸田家:村上源氏久我流、2,000

22.有馬家:村上源氏久我流、500

〔宇多源氏〕

23.京極家:宇多源氏佐々木流、1,500

〔桓武平氏〕

24.織田家:桓武平氏

  ①織田信長七男・信高子孫 2,000

  ②織田信長九男(一説に十男)・信貞子孫 700

  ③織田信長次男・信雄子孫 2,700

〔その他〕

25.一色家:公家唐橋在数の末裔、一色氏養子、1,000

26.(菅原)前田家:公家高辻長量の子孫、1,000

 

高家として有名なところでは、元禄10年(1697年)に遊郭での度重なる失態や乱行が問題視され蟄居を命じられた六角広治(ろっかくひろはる)、元禄15年(1702年)に浅野長矩の遺臣一団によって打ち取られた赤穂事件で有名な吉良義央(きらよしひさ)などがいます。高家肝煎の義央と勅使饗応役を拝命していた浅野長矩との関係。こうした目で改めて忠臣蔵をみると、また新鮮な思いがします。

 

高見澤

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このページは、東藝術倶楽部広報が2018年5月29日 09:06に書いたブログ記事です。

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