東藝術倶楽部瓦版 20180604:江戸幕府の会計監査官-「勘定吟味役」

 

おはようございます。今朝の東京都心は日差しも強く、暑くなりそうな1日ですが、今週はいよいよ梅雨入りとなりそうです。南の海上では台風発生の兆し(しかもダブル)もあり、台風が北上するとなると、梅雨前線が刺激されて大雨になる可能性があります。今年は例年以上の大雪の影響で地盤が緩み、土砂崩れの被害が広がっているところもあるので、普段より余計に警戒が必要です。

 

さて、本日は江戸幕府の会計検査官、「勘定吟味役(かんじょうぎんみやく)」について紹介したいと思います。勘定吟味役は「勘定吟味方(かんじょうぎんみがた)」とも呼ばれ、「勘定所」に置かれた老中支配の旗本役の重職です。勘定所は、今でいうところの財務省で、幕府の財政収支、幕府領での年貢徴収(現在の国税庁の業務)、長崎貿易(現在の税関の業務)、郡代・代官の勤怠、貨幣鋳造など財政に関する事務一切を行っていました。

 

勘定吟味役の主な業務は、勘定所の一切の職務を監査することです。また、勘定奉行の意見や政策に意見を加えることができ、法令発布・伺書(うかがいしょ)・勘定帳に連署するなどの重責が与えられていました。財政支出の決定には必ず勘定吟味役の賛同を得なければならず、勘定奉行を含めた勘定所下僚に不正があった場合には、直ちに老中に報告する権限が与えられていました。

 

勘定所において、勘定奉行に次ぐ地位ではあったものの、勘定奉行の次席という位置付けではなく、老中直属の独立した地位にあったと考えれています。御定員数(おさだめすう)は4名から6名で、享保16年(1731年)に格式石高500石、役料300俵が定められています。享保8年(1723年)に享保の改革で「足高(たしだか)の制」制定以降、下級幕吏が到達できる最高の役職(現在でいえばノンキャリの最高職位)となったようです。ちなみに足高の制というのは、幕府の各役職に各々規定の禄高を設け、その禄高に達しない者が任に就いた場合、在職中のみ不足分の役料を補う制度のことです。

 

5代将軍・徳川綱吉の時代、天和2年(1682年)に佐野正周(さのまさちか)、国領重次(こくりょうしげつぐ)の2名を「勘定頭差添役(かんじょうがしらさしぞえやく)」に任命したのが最初で、元禄元年(1688年)頃より勘定吟味役と呼ばれるようになりました。元禄12年(1699年)に当時勘定奉行を務めていた荻原重秀(おぎわらしげひで)が独断で勘定吟味役を廃止し、しばらく空席となっていましたが、正徳2年(1712年)に新井白石の建議により2名が勘定吟味役に任ぜられ、同役が復活することになりました。

 

享保7年(1722年)、勘定吟味役は訴訟採決の当否を判定する「公事方(くじかた)」と、貢租(こうそ)徴収・米金出納など評定所事務を監査する「勝手方(かってかた)」とに役目が分離されます。その後、宝暦年間(1751年~1764年」には9代将軍・家重の下命により、直属の部下13名が配属され、独立した検査・監査機関としての体制が整いました。属僚として、吟味方改役、吟味方下役が配置されていました。慶応3年(1867年)、江戸幕府の終焉とともに、勘定吟味役も廃止されることになりました。

 

高見澤

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このページは、東藝術倶楽部広報が2018年6月 4日 08:30に書いたブログ記事です。

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