東藝術倶楽部瓦版 20180606:江戸幕府の幕僚長-「大番頭」

 

おはようございます。今日は二十四節気の一つ「芒種」です。田植えの目安となる時期で、梅雨入りも間近なのか、東京都心は朝から小雨が降っています。昨日に続き本日も往訪しての面談があり、今日は傘をさして外出するのが少し面倒な気がします。今日の東京は1日中雨の予報で、雨が止むのは明日以降です。

 

さて、本日は前回の番方に続いて、「大番頭」について紹介していきたいと思います。五番方のうち、大番は江戸幕府の常備兵力で、最も古い組織であることは前回述べた通りです。開幕前の大番は、松平一族や家康の縁者が番頭に就くことが多く、当時は親衛隊の役割もあったようですが、後に両番の設置とともに、幕府直轄の軍事力となっていきました。

 

大番は、当初は6組、その後軍事力増強と幕府制度の整備に伴って、本丸老中支配として12組となります。1組はそれぞれ大番頭1名、大番組頭4名、大番士50名、大番与力10名、大番同心20名で構成されていました。

 

大番頭は老中支配の旗本役で、役高は5,000石、開幕初期にはしばしば譜代大名が就任することもあったようです。大番組頭は大番頭支配で御目見え以上(旗本)で役高600石、大番士以下は足高の制による補填のない持ち高勤めで大番士は概ね200石の御目見え以上、大番与力は現米80石で御目見え以下(御家人)、大番同心は30俵二人扶持で御目見え以下でした。役高に規定される番士の軍役から計算される総兵力は400人強で、2万石程度(5万石程度とも)の大名の軍役に匹敵と言われています。

 

大番の平時の任務は江戸城及び要地の警護です。要地には二条城と大坂城があり、それぞれ2組が1年交代で在番していました。江戸初期には伏見城と駿府城の警護もありましたが、伏見在番は伏見廃城、駿府在番は書院番が務めることになり、それぞれは廃止されました。新番創設後は、大番は主に江戸城の大御所・世子不在時の二の丸と西の丸の警備を担当するようになりました。一方、有事または行軍の際には幕府軍旗本部隊の一番先手、備(そなえ)の騎馬隊として働いていました。大番頭は平時の警備責任者、戦時の軍事責任者で、今でいえば自衛隊の幕僚長といったところでしょうか。

 

江戸幕府はいわゆる軍事政権であることから、軍事・警備の責任者の地位は高く、大番頭は同じ役高5,000石の側衆、留守居と並んで、旗本の役職中で最高の格式を誇っていました。ちなみに、書院番頭と小姓組番頭の役高は4,000石で、若年寄支配の旗本役、大番頭とともに諸大夫の格式です。戦時の幕府直轄の備の一番手指揮官が大番頭であるのに対し、二番手指揮官は書院番頭が務めていました。

 

高見澤

2018年6月

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このページは、東藝術倶楽部広報が2018年6月 6日 11:42に書いたブログ記事です。

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