東藝術倶楽部瓦版 20180731:伝令役から上使役へ-「使番」

 

おはようございます。本日は午後から公益財団法人国際民商事法センターと中国の国家発展改革委員会の主催で「日中民商事法セミナー」が開催されます。中国からは同委員会の林念修副主任(副大臣)が出席、日本側のトップは住友商事の社長・会長を務めた宮原賢次同センター会長です。今回中国政府高官や専門家が集まる中、ハイテクセッションでモデレーターを務めることになり、昨日からその準備に勤しんでいます。

 

https://jcpage.jp/jcevent/op/181/0

 

さて、本日は「使番(つかいばん)」について紹介したいと思います。使番は、古くは「使役(つかいやく)」とも呼ばれ、元々は戦国時代に戦場で伝令や監察、敵軍への使者などを務めた役職で、武功第一の者の役柄でもありました。織田・豊臣時代の職名にもみられ、これが江戸幕府や諸藩へと引き継がれたものです。

 

江戸幕府においては若年寄の支配に属し、役高は1,000石、役料は500石で布衣、番方(武官)としての役柄です。元和3年(1617年)に定役となり、その時の定員は28名乃至は25名ともいわれ、その後増加して文化年間(1804年~1818年)に50名前後、幕末には更に増えて最大で112名に達しました。慶応2年(1866年)、定員は半分の56名に削減されました。

 

寛永14年(1637年)~寛永15年(1638年)の島原の乱以降、江戸時代には大規模な戦乱が発生せず、使番の役柄も次第に変わっていきます。目付とともに遠国奉行や代官等の遠方で職務にあたる幕府官吏に対する監査業務を担当することになり、将軍の代替わりの際に諸国へ巡回して大名の治績動静を巡視する「諸国巡見使(しょこくじゅんけんし)」や幼少の大大名の下でその後見監督にあたる「国目付(くにめつけ)」、大名の改易や転封の際の城受け渡しの監督、二条城・大坂城・駿府城・甲府城等の幕府役人の監督など幕府の「上使」を務めたほか、江戸市中で火災が発生した際に火勢の報告や大名火消・定火消の監督なども行いました。

 

尚、これとは別に大奥には御台所(みだいどころ)や大奥の上臈(じょうろう)〔高級女官〕と御広敷(おひろしき)役人の連絡にあたる「御使番(おつかいばん)」が設置されていました。これは大奥女中のうち御目見え以下の者の役職でした。

 

高見澤

2018年8月

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このページは、東藝術倶楽部広報が2018年7月31日 07:54に書いたブログ記事です。

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