おはようございます。 昨夜帰宅したのが夜中の11時近く、食事をしてニュースをみた後、12時過ぎに床に就いたのですが、ウトウトしかけた時に突然の地震アラートが家族全員のスマホ、ガラ携から鳴り響きました。すぐに身構えようと思いましたが、特段の揺れは感じず、気象庁のホームページで確認したところ、千葉県東部と茨城県南部で震度4の地震が観測されたとのことでした。インドネシアなど海外も含め、最近は頻繁に地球規模での災害が続いています。日常の何気ない風景を見るにつけ、今の地球人類に対する地球の怒り、自然の憤りは理解できなくもありません。
さて、本日は「猿屋町会所見廻り方」について紹介していきたいと思います。「猿屋町(さるやちょう)会所」については、別途説明の機会を設けたいと思いますが、簡単に言えば、寛政の改革で出された「棄捐令(きえんれい)」による「札差(ふださし)」救済のための貸付機関ということになります。
幕府や諸藩の家臣が財政窮乏で苦しんでいたところ、寛政元年(1789年)に松平定信が札差と呼ばれる高利貸商人に対し、一方的に借金の帳消しや利息軽減を命じる棄捐令を出します。しかし、これによって逆に札差が大きな損害を受け、金融業が営めなくなることになり、これを救済するために、幕府が御下げ金2万両を出仕し、江戸浅草猿屋町に資金貸付の役所を設置します。これが「猿屋町御貸付金会所(さるやちょうおかしつけきんかいしょ)」、通称猿屋町会所で、「札差改正役所」とも呼ばれていました。
猿屋町会所には、勘定奉行所から勝手方掛7名が出張して札差に資金を貸し付ける業務を行っていました。貸金利息は無利子20年賦のものと、年率で金1両につき銀6匁(もんめ)〔22.5グラム〕で20年賦のものがあったようです。一見固定金利のようにみえますが、金銀相場は相場によって変化するので、実質的には変動金利といえますね。元禄13年(1700年)の幕府の改正によれば、金1両が銀60匁とされていたので、計算上は10%となりますが、実際には6~9%であったようです。この辺りの事情については、時間のあるときにもう少し調べてみたいと思います。
そして、この猿屋町会所の勘定方の役人を監督するのが「猿屋町会所見廻り与力」で、その下に「猿屋町会所見廻り同心」が配されていました。定員は、南北両奉行所にそれぞれ与力が1騎、同心が2名とされていました。同心は毎日交替で勤務、与力は随時の勤務でした。
高見澤