東藝術倶楽部瓦版 20181016:本所・深川一帯の行政を担当-「本所方」

 

おはようございます。今、世界中で物騒な事件が多発しています。サウジアラビアの政府批判を繰り返してきたジャーナリストが、トルコにあるサウジの総領事館に入った後、行方不明になる事件が起きました。一つの批判がINSを通じて瞬時に世界中に拡散するリスクを懸念する政府当局ですが、現在のIT技術の発展による情報拡散を食い止めることは難しいと言えるでしょう。その反面、顔認証などを使って監視社会が助長される可能性も小さくありません。これまで誰も経験したことのない社会、さあ、これから地球の人類はどうなっていくのでしょか?

 

さて、本日は「本所方(本所掛)」について紹介したいと思います。本所方は「本所見廻り」とも呼ばれ、本所・深川一帯に関する事柄を担当していた役職です。

 

明暦の大火〔明暦3年(1657年)〕後に、防災の意味もあって大川(隅田川)に両国橋が架けられると、それまで江戸の範疇に入っていなかった大川の東側にも市街地が拡大するようになります。この地域が本所、深川と呼ばれる一帯で、こうした新たな町の広がりに対応すべく設置されたのが「本所奉行」です。

 

しかし、本所や深川が江戸市街として認知されるようになると、行政部門の簡素化が図られ、正徳3年(1713年)に本所の町並地の管轄は江戸町奉行所に移管され、享保4年(1719年)に本所奉行は廃止されます。本所奉行廃止と同時に、武家地は普請奉行、道路・橋・水路は勘定奉行の管轄となりました。

 

この本所奉行の廃止に伴い、町奉行所内に新設されたのが本所方です。本所・深川一帯の一般行政や住民に請け負わせていた事業の管理を行ったほか、勘定奉行所と連携して橋梁・道路の建設、建築物調査などに係る諸般事務実務を行っていました。また、洪水などの風水害時に橋梁保護や住民救助のために「鯨船(くじらぶね)」と呼ばれる快速艇を2隻保有していました。

 

本所方の定員は、「本所方与力」が南北奉行所それぞれ1騎、その配下として「本所方同心」がそれぞれ2名いたほか、「本所方水主(かこ)」と呼ばれる鯨船に乗船する水夫がいました。

 

町奉行所の支配下に「本所道役」と呼ばれる町役が設置されていました。町奉行所の与力や同心はあくまでも管理監督役であり、実際に実務・作業の手配を行うのは、こうした町役でした。元々は本所奉行の支配下でしたが、本所奉行廃止後は江戸町奉行の支配下に移りました。定員は2名でした。

 

高見澤

2021年1月

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このページは、東藝術倶楽部広報が2018年10月16日 08:43に書いたブログ記事です。

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