おはようございます。今朝の東京都心は小雨が降っていましたが、事務所に着く頃には止んでいました。今日は降ったり止んだりの予報で、気温も以前ほど上がらない予想です。人間社会の混迷は続いていますが、季節は決まった通り移り変わっていきます。少しずつ発展しながら循環を繰り返す。これが宇宙の真理なのかもしれません。人間もかくあるべきだと思いたいところです。
さて、本日は幕末の環境変化に伴って町奉行所内に設置された役職について紹介していきたいと思います。幕末の環境変化といえば、やはり黒船来航ですね。つまり、新たに外国との関わりを担う役職が、江戸町行政においても急遽必要となっていったのです。
最初に紹介するのは「外国掛方」です。外国掛方は他の役職と同様に「外国掛与力」と「外国掛同心」から組織されていました。設置されたのは、安政4年(1657年)11月に同心4名を任命したのが最初だったようです。外国掛方は外国人に対する事務を担当していました。定員についてはその後増員され、万延元年(1860年)には一方の奉行所だけで外国掛下役が54人とされていたようです。しかし、その後の外国奉行の設置により町奉行所の負担は軽減され、慶応元年(1865年)には与力5騎、同心5人となりました。
次に紹介するのは「開港掛方」です。開港掛方も同様に「開港掛与力」と「開港掛同心」から構成されていましたが、定員については不明です。設置されたのは安政5年(1658年)で、江戸や横浜の開港と開市の事務を担当していました。
幕末に新設された外国人居留地の事務などを担当したとされる「外国人居留地掛方」という役職も、同じ時期に設置されています。外国人居留地掛方も「外国人居留地掛与力」と「外国人居留地掛同心」から組織されていました。具体的な職務や定員についての詳細は不明です。
もう一つ、直接的に外国との関係はなさそうですが、幕末に「御国益御仕法度掛方」という役職が設置されています。御国益御仕法度掛方も同様に「御国益御仕法度掛与力」と「御国益御仕法度掛同心」から組織されていました。この役職の職務については、その名称から国益と法律に関する実務を担ったものと推測されますが、その詳細は不明です。国益というからには、間接的には何らかの形で外国との関わりがあったのかもしれません。この役職の定員についても不明です。
高見澤