おはようございます。昨日はちょっとした野暮用で事務所に来ることができず、瓦版も休刊とさせていただきました。今週は、中国からの研修団を2団受け入れ、1団は最近の日中経済関係情勢、もう1団は日本の自動運転実現に向けた行動計画について、いずれも中国語で講義を行いました。質疑応答を含め、専門家を相手に2時間もしゃべりっぱなしというのは、さすがに疲れます。私自身、自動運転は専門外なのですが、今年は経済産業省からの委託事業を受けて調査しているところなので、対応せざるを得なかった次第です。
さて、本日は「牢屋見廻り方」について紹介したいと思います。江戸において「牢屋」といえば、小伝馬町にあった「牢屋敷」のことを指します。この小伝馬町牢屋敷については、改めて説明の機会を設けます。
実際に、この牢屋敷において囚人に対する総監督と刑罰の宣告・執行を行っていたのは「囚獄(しゅうごく)」と呼ばれる「牢屋奉行」です。牢屋奉行の下には、それぞれの役割を担う「牢屋同心」と雑用係、意思などがいました。この牢屋奉行については、次回詳しく説明したいと思います。
牢屋見廻り方の主な役割は、小伝馬町牢屋敷内の事務処理と牢屋敷の監督でした。牢屋敷自体が江戸町奉行所の管轄下にあったことから、町奉行の目代(もくだい)〔代理〕として、「牢屋見廻り与力」とその配下の「牢屋見廻り同心」が、毎日牢屋を見廻っていました。
牢屋見廻り方が創設されたのは享保3年(1718年)で、与力の定員は南北奉行所それぞれ1騎、同心はそれぞれ2名でした。
高見澤