東藝術倶楽部瓦版 20181023:牢屋敷の実務担当-「牢屋同心」

 

おはようございます。明後日から安倍総理が中国を公式訪問します。それに合わせて経済界も第三国市場協力フォーラムを開催するのですが、情報がまともに伝わっておらず準備状況も不十分な状態で、大混乱の中、我々も明日から北京に出発することになります。会議の内容(サブスタンス)部隊と後方支援(ロジスティクス)部隊が組織的に完全に分離し、ロジスティクスが理解できないサブスタンス担当が枝葉的なこだわりに執着してロジスティクス担当を混乱させ、更にロジスティクスを経験したことのない担当が何をしていいか分からないままに、ただサブスタンス担当の指示通りに動いているため、しっちゃかめっちゃかになっているというのが実態です。全体を把握できないバランスを欠いたリーダー、そして上の顔色ばかりをみて、フォーラムそのものの目的を見失い、形ばかり取り繕う官僚天国の日本! さて、日本の未来はどうなるのでしょうか...? 明日から今週いっぱい、瓦版を休刊します。

 

さて、本日は「牢屋敷同心」について紹介したいと思います。牢屋敷の役人には、牢屋奉行の下に、「牢屋同心」、「牢屋下男」、「牢屋医師」、「非人」がおり、その他に牢屋敷見廻り方を含む「牢屋監察」がいました。

 

牢屋同心は、牢屋奉行の下で実務を担っていました。当初、牢屋同心は40名でしたが、後に説明する「揚屋敷(あげやしき)」が設置された時に50名、百姓牢ができた時に58名、慶応元年(1865年)の揚屋増設の際には76名いたとされています。牢屋同心には「鍵役(かぎやく)」、「小頭(こがしら)」、「打役(うちやく)」、「数役(かぞえやく)」、「世話役(平番・平当番)」、「書役」、「賄役(牢番)」がいました。

 

牢屋同心の中で最も格式が高いのは40俵四人扶持の鍵役です。鍵役は古参の同心2名が務め、牢内諸口の鍵を管理・所有し、囚人の出入りに関する一切の事務を行っていました。実際には4名の助役が実務を担当していました。

 

小頭は20俵二人扶持で、牢屋の管理と牢屋下男等の指揮・監督を行う役です。定員は2名、下当番所に詰め、牢内の見廻りと囚人の点呼を行っていました。朝5時から夕方5時までの交代制で、世話役から選任されていました。

 

打役は牢問・拷問や敲刑のときの笞打ち役で、遠島、入墨、死刑の執行も行っていました。定員は4名で、2名ずつ交替で勤めていました。俸禄は25俵三人扶持です。

 

 

数役は、囚人の牢問・拷問や敲刑の際に数を数える役です。25俵三人扶持で、打役同心が兼務することもありました。数を間違えると、進退伺いを出すほどの不名誉とされていたようです。

 

世話役は、平番、平当番とも呼ばれ、20俵二人扶持。牢屋の管理役で、囚人の呼出の時の護送、警護を務めていました。定員は4名でした

 

書役の職務は主に牢屋敷内の記録作成で、こちらも20俵二人扶持でした。

 

賄役は牢番とも呼ばれており、書役の下に配置されていたようです。牢内の炊事、囚人への食事、薬、茶、湯水、買い物の世話をしていた役職です。午後8時から午前6時まで寝ずの番をしていました。本牢当番と百姓牢当番の二つがありました。

 

幕末に「同心株」が売買されていた際に、牢屋敷の同心株はかなり安く、湯屋の三助などがその株を買って同心を務めていたそうです。

 

高見澤

2021年1月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

このブログ記事について

このページは、東藝術倶楽部広報が2018年10月23日 07:10に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「東藝術倶楽部瓦版 20181022:江戸の拘置所・所長-「牢屋奉行」」です。

次のブログ記事は「東藝術倶楽部瓦版 20181029:牢屋敷の雑務担当「牢屋下男」、医療担当「牢屋医師」」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

カテゴリ

ウェブページ