東藝術倶楽部瓦版 20181109:「士農工商」は職業制度だった!?

 

おはようございます。今朝の東京都心は小雨が降っていました。11月もそろそろ中盤に差し掛かるかという時期で、寒さも少しずつ身体に感じるようになりました。季節の変わり目ということもあって、我が職場では体調を崩す人が若手を中心に続出しています。若い人ほど、身体の抵抗力が低下しているのが分かります。そういえば、最近は著名人の訃報のニュースが増えているように感じるのも気になります。

 

さて、江戸町奉行所の重要な組織として、もう一つ「江戸町火消」がありますが、これは江戸の消防シリーズでまとめて説明したいので、江戸町奉行所シリーズは取り敢えずここで一旦終了させていただきます。

 

そこで本日は、江戸時代にあったとされる身分制度、「士農工商(武士、農民、職人、商人)」について説明したいと思います。士農工商という言葉は、元々は古代中国から用いられてきたもので、身分制度というよりは、社会の構成要素である官吏、農民、職人、商人を指す概念で、「四民」とも呼ばれていました。紀元前7世紀に活躍した斉国の宰相・管仲の作とされる『管子』には「士農工商四民、国の礎(士農工商四民者、国之石民也)」と記されています。

 

古代中国における身分制度の考え方として、「士」は都市国家社会においては支配階層である族長や貴族を、官僚社会成立以降は国家統治に携わる官吏や知識人を指していました。中国では伝統的に、土地に基づかずに利を求める「工」や「商」よりも、土地に根付いて食糧を生み出す「農」が重要視されてきたことは言うまでもありません。この概念や考え方が日本に取り入れられるようになったのは、奈良時代以前とされています。

 

日本でも戦国時代以前は、徒歩や足軽の多くは戦時に農民が駆り出されたもので、「士」と「農」との区別はかなり曖昧なものでした。それが、豊臣秀吉によって行われた天正9年(1582年)の太閤検地や天正16年(1588年)の刀狩などによって、次第に武士と農民が分離、それぞれの役割が固定化され、職業となっていきました。

 

こうした兵農分離政策による職業の固定化は、江戸時代に入って更に強化され、職業自体が世襲制となりました。武士の次に江戸の経済の本となる米を生産する農民が尊ばれ、次にモノづくりの工人(職人)、そして一番下層に生産物を生み出さない商人という順番で身分が決められた士農工商の身分制度となった...、というのが、これまでの教科書に書かれていた定説でした。

 

しかし、その後の研究によって、江戸時代の士農工商は身分制度というよりも、職業を表す概念だったというものです。身分制度としては、「士」を支配者層として他の「三民(農、工、商)」より上位に置かれ、三民についての上位・下位は存在していなかったということです。身分としては、支配階層の「士」の下に、農村にいる「百姓」と町にいる「町人」が同列に存在していたというのが、本当のところのようです。

 

「百姓」といのは決して農民のみを表すものではなく、農村に住む職人は百姓、同じ職人でも町に住めば「町人」と呼ばれていたようです。つまり、百姓や町人というのが身分であって、彼らは「平人(へいじん)」としてくくられていました。

 

江戸時代の職業は原則的には世襲されていましたが、百姓・町人間の職業の移動は比較的容易であり、下層武士(徒歩)と上層百姓との間にもある程度の流動性があったようです。とはいえ、中上層武士の身分移動はほとんどなく、武士と百姓・町人との間の身分制度自体は強固なものであり、こうした身分移動は個別事例として一程度の柔軟性を有していたというのが実際のところでしょう。

 

江戸時代には、武士と平人(百姓・町人)の間には身分的に大きな格差があり、更に加えて「穢多」、「非人」という下の階層があったとされています。これについては、江戸町奉行所の役職、「穢多頭」、「非人頭」で少し触れましたが、これらは平人と比べて下の存在とされていたものが、明治以降、平民(一般民衆)とは別個の存在として扱われ社会的差別を受けたとの説があります。

 

しかし、こうした差別が発生した原因は、当時の江戸幕府の政策のみあるのではなく、江戸時代以前の中世から存在していた血や死などの「ケガレ」に従事する職業に対する畏怖や畏敬などの感覚が、民衆の間で徐々にマイナスに働いていったという説もあります。

 

高見澤

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このブログ記事について

このページは、東藝術倶楽部広報が2018年11月 9日 08:30に書いたブログ記事です。

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