東藝術倶楽部瓦版 20181128:江戸市中の消防の主役-「町火消」

 

おはようございます。昨日、北京から戻ってきました。今回の出張は災難続きで、22日に香港経由で深圳に入る際に、何と全日空便に預けた荷物がロストバゲージ!着替え5日分、スーツ1式、替えズボン1本、ネクタイ2本、ジャンバー、マフラー、手袋、傘、関連資料がなくなってしまいました。深圳では着替えを買う時間もなく、2日間同じものを着たきり雀で、さすがに2日目の夜に1着しかない下着と靴下、シャツを洗濯して、一糸まとわずの状態で、一晩中アイロンで乾かす始末。翌朝、やっと手に入れた着替えは間に合わせであったものの、それなりの値段。更に北京に着いてからは時間もない中で、急ごしらえでズボン1着、ネクタイ1本、ハーフコート、スーツケースを購入しました。時間が限られた中で、かき集めたこともあり、大したモノも買っていないのに10万円ほどかかってしまいました。昨日、羽田空港に到着した時点でスーツケースはまだ見つかっていません。誰がこれを保障してくれるのか、これから航空会社と交渉です。

 

さて、本日は制度化された「町火消(まちびけし)」について紹介していきたいと思います。町火消が本格的に制度化されたのは、8代将軍・吉宗のときです。火事によって焼失した町の復興のための幕府の財政負担は大きく、幕府財政安定化のためにも、出火への即時対応が喫緊の課題となっていました。

 

享保2年(1717年)に南町奉行に就任した大岡忠相は、翌年の享保3年(1718年)に名主たちの意見を取り入れ、火消組合(店火消のところで説明済み)の組織化を目的とした「町火消設置令」を出します。これにより、町火消が組織されるのと同時に、町火消は町奉行所の指揮下(火消人足改掛方)に置かれることになりました。とはいえ、その維持費用はそれぞれの町が負担することになってました。

 

1町につき30人ずつ動員することになり、火事が発生すると火元からみて風上の2町と風脇の左右2町、合計6町180人体制で消火活動にあたることとされました。しかし、町火消設置当初は、町の広さや人口が一様でなく、地図上で地域割りを行ったもののうまく機能しませんでした。

 

そこで、享保5年(1720年)に地域割りを修正し、20町ほどを1組として、隅田川から西を「いろは組」47組が担当し、東の本所、深川を16組の町火消が担当する組織作りが行われました。時代劇でお馴染みの町火消の誕生です。混乱する火事場でそれぞれ何組かが分かるように、各組の目印としてそれぞれ纏(まとい)と幟(のぼり)を作らせましたが、これが次第に各組を象徴するものとなっていきました。

 

享保15年(1730年)、いろは47組を一番組から十番組までの10大組に分け、大纏を与えて統括し、より多くの火消人足を火事場に集められるようにしました。その一方で、各町ごとの火消人足の数は30人から15人へと負担を軽くし、町火消全体の数は1万7,596人から9,378人になりました。

 

その後、「ん組」に相当する「本組」が三番組に加わって、いろは48組となり、本所、深川の16組は北組、中組、南組の3組に分けて統括されました。

 

元文3年(1738年)、10大組のうち組の名称が悪いとして四番組が五番組に、七番組が六番組に併合されて大組は8組となり、この時の定員は1万642人とされています。

 

町火消の構成は、町火消を統率する「頭取(とうどり)〔人足頭取〕」、各組を統率する「頭(かしら)〔組頭〕」、「纏持・梯子持(道具持)」、「平人(ひらびと)〔鳶人足〕」、「土手組(どてぐみ)〔下人足〕」から成っていました。このうち、土手組は消火の数には含まれていませんでした。頭取は江戸全体で270人ほどいたようで、一老、二老、御職の階級があり、御職は「顔役」とも呼ばれて、江戸市中でもよく知られる存在でした。

 

人足には「店人足」と呼ばれる一般の町人と、「鳶人足」と呼ばれる鳶職人による人足がいました。江戸時代の消火活動は、延焼を防ぐための「破壊消防」が主であったことから、身体能力の高い鳶人足が消火活動の主役だったことが分かります。元文3年の大組改正の際の店人足と鳶人足の数は、それぞれ6,565人と4,077人とのことです。

 

町火消は毎年正月4日に、各組の町内で梯子乗り木遣り歌(きやりうた)を披露する初出(はつで)を行いました。これは定火消が行っていた出初に倣って始められたものです。

 

高見澤

 

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このページは、東藝術倶楽部広報が2018年11月28日 10:06に書いたブログ記事です。

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