おはようございます。最近、日本全国で火事のニュースが目立ってきています。東京都心では昨年のクリスマスイブから雨が観測されておらず、今日も雨が降らないと18日連続で雨が観測されないことになり、観測史上4番目の記録に並ぶそうです。乾燥注意報も昨年末から連続で出されていて、喉の調子が悪い人も少なくないと思います。こうした気候は火事にも注意が必要ですが、インフルエンザにも気を付けなければいけませんね。
さて、本日も明暦の大火後の火事について、続きをお話ししていきたいと思います。
寛文8年(1668年)2月1日、未の刻(午後2時頃)に牛込にあった若狭小浜藩二代目藩主・酒井忠直(ただなお)の下屋敷から出火、市谷、麹町から芝に至る海の手前まで類焼しました。一方、同時刻に駒込・吉祥寺北東の御中間町からも出火、神田から日本橋本通りまで火が及びました。更に麹町門外町屋からも出火しました。この同日に起こった3件の火災で、武家屋敷2,407カ所、寺院136カ所、町屋132町半、百姓屋170棟が焼失しました。
続いて延宝4年(1676年)12月7日、明暦の大火後に浅草裏の日本堤に移転した新吉原が失火します。この火が寺町、花川戸、山の宿(いずれも現在の東京都台東区)を延焼し、本所中之郷辺りまで及びました。この火事により遊女12人が焼死し、新吉原で発生した初めての大火とされています。
延宝7年(1679年)5月29日、江戸堺町の芝居小屋・大坂七太夫座(おおさかしちだゆうざ)から出火した火災は、浜町・高砂町(いずれも現在の東京都中央区)まで17町類焼します。この火災により、日本橋堺町の中村座、葺屋町の市村座も焼失してしまいました。
次回は、天和2年(1682年)に起きた「八百屋お七火事」について紹介します。
高見澤