東藝術倶楽部瓦版 20190225:江戸の主な大火-弘化年間の大火と「青山火事」

 

おはようございます。政治的には沖縄県辺野古埋め立ての是非や厚労省による統計偽装疑惑、英国のEU離脱(ブレグジット)をめぐる問題などでもめ、経済的には米中経済摩擦や日系大手企業の英国からの撤退などで混沌としたニュースが新聞紙面を賑わせています。国民や世論を無視した政治経済の運営がこうした事態を招いているわけですが、そもそも政治とは何か、経済とは何かを、今一度原点に返って考え直す必要があります。あまりにも理不尽で不可解な現代社会に、憤りと憂いを感じる今日この頃です。

 

さて、本日は弘化年間(1845年~1848年)の大火と「青山火事」について紹介したいと思います。天保15年(1844年)5月10日暁七ツ時(午前4時頃)、江戸城平河門から出火、江戸城本丸が焼失する火災が発生しました。しかも、火災が立て続けに発生していたことから、天保1512月2日(1845年正月9日)に「弘化」へと改元が行われました。もちろん、改元したからといって、火事が減るものではないと思いますが、これもまた現代人には分からない昔の人々の思いが込められていたのではないかと感じます。

 

弘化2年1月24日(1845年3月2日)丑の中刻(午前1時40分~午前2時20分)に青山権田原から出火した火災が北西の風に煽られて麻布、白金、高輪(いずれも東京都港区)の海辺まで広がりました。この火事による被害は幅10町、長さ38町に及び、大名屋敷115カ所、旗本屋敷285カ所、寺院187カ所、町屋126軒が焼失し、800900人が焼死したとされています。この火事はその火元に由来して「青山火事」と呼ばれています。

 

同じ弘化2年12月5日には、今度は吉原の京町二丁目から出火します。この火事により、遊郭が全焼してしまいました。

 

弘化3年(1846年)1月15日未の下刻(1420分~15時)、小石川馬場向横町(東京都文京区)から出火、日本橋が全焼する火事が発生しました。焼失町数は290町に上り、多数の死者が出ました。この年の3月27日、蛮社の獄〔天保10年(1839年)5月に起きた言論弾圧事件〕で捕えられていた高野長英が火事に乗じて脱獄するというエピソードがあります(長英は後に捕えられて死亡)。

 

高見澤

2021年1月

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このページは、東藝術倶楽部広報が2019年2月25日 08:55に書いたブログ記事です。

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