東藝術倶楽部瓦版 20190227:江戸の主な大火-幕末と江戸時代最後の大火

 

おはようございます。本日、ベトナムのハノイで第2回目の米朝首脳会談が行われます。朝鮮半島の非核化について、どのような議論が展開されるのかが注目されるところですが、正直なところ大きな進展は期待できないと思います。米朝関係をどう見るかですが、個人的には米国の国内対立、すなわちトランプ対旧体制勢力の国際舞台版というのが実態ではないかと思うのですが...。明日は友人の葬儀参列のため、瓦版もお休みさせていただきます。享年60歳、脳内出血という突然の死に、心痛めているところです。

 

さて、本日は幕末最後の大火というテーマで、万延元年(1860年)以降明治に入る前までの江戸の大火を紹介したいと思います。江戸時代も幕末という最後の時代を迎え、西洋列強の影響が江戸の町にも次第に及んできます。戦乱のなかった平和な時代も終わりを告げ、今度は世界を相手に富国強兵による戦乱を起こす時代の幕開けとなっていくのです。

 

万延元年(1860年)8月27日暮六ツ時(午後5時)に、浅草猿若町一丁目より出火した火が鳥越周辺まで延焼し、中村座、市村座、守田座〔安政5年(1858年)に森田座から改称〕も焼失する火災が発生しました。同年9月29日亥の刻(夜9時~11時)過ぎに、今度は吉原江戸町二丁目から出火、遊郭が全焼する火事が発生します。この火事では遊女らが放火犯として逮捕されています。

 

文久2年(1862年)1114日、またもや吉原で火災が発生します。火元は京町一丁目で、この火事でも遊郭が全焼してしまいました。元治元年(1864年)1月26日、今度も吉原で火災が発生、火元は江戸町一丁目で、またもや遊郭が全焼しました。同年4月22日、守田座(浅草猿若町)芝居茶屋から出火、江戸三座が全焼する火事が発生しました。

 

そして、江戸時代最後の元号となる慶応2年(1866年)1111日、吉原江戸町一丁目の大枡屋が火元となる火災が発生、遊郭が全焼していましました。江戸時代最後の大火となるのは、慶応4年5月15日(1868年7月4日)に起きた大村益次郎率いる官軍が上野の彰義隊を攻撃したことに端を発する火事です。上野、下谷(いずれも東京都台東区)、本郷(東京都文京区)付近で火災が発生、焼失家屋は1,200戸に及んだとされています。

 

以上、長きにわたり江戸の大火をみてきましたが、江戸三座を含む芝居小屋や吉原遊郭を巻き込む火事が多いことが分かります。これは、そうした施設が蝋燭の火を多用することから、些細な不注意から火災が発生しやすかったこと、しかも簡易な木造建築であったこともあって、火が燃え広がったものと考えられます。当時、蝋燭は高級品でしたから、おカネの集まる歌舞伎小屋や遊郭でしか多分に使われなかったのでしょうね。

 

高見澤

2021年1月

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このページは、東藝術倶楽部広報が2019年2月27日 08:31に書いたブログ記事です。

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