東藝術倶楽部瓦版 20190304:天下泰平だったからこそ発達した江戸の交通

 

おはようございます。今朝の東京は、昨日からの雨が続いています。今日は終日雨が降るようで、傘が手放せない1日となりそうです。ベトナムのハノイで行われた米朝首脳会談も、結局のところ何も合意することはできずに、物別れに終わったとの報道ですが、実際のところはどうだったのでしょうか? 一方で、カシミール地方を巡るインドとパキスタンの間の紛争も気になるところです。私自身、中国経済、日中経済が専門ですが、グローバル化する経済関係を考えるに、世界経済、世界政治の動きにも気を配らなければなりません。益々忙しい日々が続きそうです。

 

さて、これまでは江戸の火事について、かなり長い時間をかけて紹介してきました。本日からは「江戸の交通」について紹介していきたいと思います。江戸時代の交通といえば、陸路と海路しかありませんでした。今では空路がありますが、当時は空を飛ぶ技術がまだなく、人の移動、モノの輸送は専ら陸路と海路によっていたわけです。

 

先ず陸路の移動、輸送に欠かせないのが道路整備です。広く長い道路を建設することは、生活する上で大変便利ではありますが、防衛という観点でみれば敵の進入を容易にしてしまうので、便利過ぎるというのも問題があります。江戸時代が長きにわたり平和な時代を過ごすことができたのも、大陸国と違って海に守られてきたからだと言っても過言ではありません。

 

戦国時代、甲斐の武田信玄が「棒道」とよばれる軍用道路を八ヶ岳山麓に築き、甲斐国と信濃国との間を軍がスムーズに派遣できるようにしたことは有名ですが、自国の軍が通りやすいということは、逆に他国からの軍も侵略しやすいことを意味しているわけで、戦乱の世ではなかなか道路整備も進まなかったのではないかと思います。

 

関ヶ原の戦いで徳川家康が勝利をおさめ、江戸幕府が開かれることによって徳川政権が安定してきます。江戸と地方を結ぶ街道が整備され、江戸の町の中も縦横無尽に道路が造られていきます。平和で安定した世であったからこそ、日本中を安全に行き交うことができた江戸の交通事情について、しばらくの間みていきたいと思います。

 

高見澤