東藝術倶楽部瓦版 20190312:江戸時代の通信・輸送制度-「飛脚」その①

 

おはようございます。未曾有の被害をもたらした東日本大震災から昨日で8年。昨日はテレビをつければどのチャンネルでも震災に関する番組が放映されていました。チェルノブイリの例をみれば、そろそろセシウム137やストロンチウム90の影響によると思われる白血病等の患者が急速に増え始める時期でもあります。先日も、競泳の池江璃花子選手が18歳の若さで白血病と診断され、治療を受けているとの報道がありました。1日も早い回復を祈るばかりです。

 

さて、本日は江戸時代の「飛脚」の制度について紹介したいと思います。街道整備の主な目的の一つが、迅速なる情報伝達にあったことは既に述べた通りです。その情報伝達に大きな役割を果たしたのが飛脚と呼ばれる人たちです。

 

そもそも飛脚というのは、信書、金銭、為替、貨物などを馬や自らの足で輸送する職業、或いはその仕事に従事する人を指します。歴史を遡れば、律令時代に重要な書状の受け渡しに「飛駅(ひえき)」と呼ばれる至急便が使われており、中世鎌倉時代には京と鎌倉を結ぶ「鎌倉飛脚」や「六波羅飛脚」、室町時代には「関東飛脚」と呼ばれる情報伝達制度が整備されていました。こうした制度は、専ら公用として使われていました。

 

これが戦国時代になると、戦国大名が領国の要所要所に関所を設けたため、領国間にまたがる情報伝達は難しくなり、家臣や寺僧、山伏などが飛脚の役割を果たすようになります。ただ、これらは人目を忍んで行われたこともあり、業態化することはありませんでした。

 

本格的に飛脚による輸送や情報伝達が制度化されるのは、やはり江戸時代になってからです。五街道をはじめとする道路や宿場が整備されることによって、飛脚による輸送や情報伝達がスムーズに行われることが可能になったのです。江戸時代の飛脚の交通手段は馬と駆け足です。ご公儀による継飛脚、諸藩が使う「大名飛脚」、大名・武家や町人が利用できる「飛脚屋」や「飛脚問屋」などの制度が確立され、当時の日本国内の重要な通信・輸送手段となっていきました。

 

とはいえ、今のように車や鉄道があるわけではないので、費用的にはかなり高価なものになってしまい、一般庶民がそう頻繁に使うわけにはいきません。また、天候などにも左右されたほか、地方によっては複数の業者を通じて運ばれるため、業者間の連携が円滑に行われず、期日が大幅に遅れることも少なくなかったようです。

 

江戸時代中期から盛んに使われるようになる民間の飛脚問屋では、原則として決められた「定日」に荷物を集荷し、荷物監督である「宰領(さいりょう)」が主要街道の各宿場の伝馬制度を利用して人馬を変えながらリレー輸送していました。宰領は馬に乗り、荷物を付けた馬と馬方を引き連れ、長脇差を帯刀し、道中は指定の「飛脚宿」に宿泊しました。途中、悪天候や事故・事件など天災、人災によって延着、不着、盗難、紛失などのトラブルもありました。

 

江戸と京・大坂を結ぶ飛脚のうち、日数の保証のない最低料金のものを「並便り」と呼んでいました。昼間のみ、しかも駅馬の閑暇を利用して運ぶために、片道で概ね30日を要したといわれています。急を要する場合は、所要10日の「十日限(とおかかぎり)」、6日の「六日限」、「早便り」などの制度を使いました。また、1件のために発する「仕立飛脚」の制度もありましたが、これは正六日限で金3両(現在の価値で384,000円ほど)と、かなり高額だったようです。

 

東海道の交通量が増加すると、2日~3日の遅延が増えてきます。そこで江戸と上方を6日間で走ることを約した「定飛脚(じょうびきゃく)」が登場します。、これを「定六」または「正六」と呼んでいました。そもそも定飛脚は一定区間を日数を定めて往復する飛脚のことを指しています。

 

更に火急の場合には「四日限仕立飛脚」と呼ばれる仕立飛脚が組まれることもあり、江戸/大坂間の料金は金4両2分(現在の価値で576,000円ほど)、最速の2日間で走りきる「正三日限仕立飛脚」の場合は、何と銀700匁(現在の価値で140万円ほど)だったそうです。ちなみに、一番安い並便りの料金は書面1通30文(600円ほど)~100文(3,000円ほど)でした。

 

高見澤

2021年1月

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このページは、東藝術倶楽部広報が2019年3月12日 07:38に書いたブログ記事です。

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