東藝術倶楽部瓦版 20190326:1泊2食付の宿泊施設-「旅籠」

 

おはようございます。先週金曜日から週末を挟んで北京に出張し、昨日早朝のフライトで東京に戻り、昨夜も夜遅くまで残業というかなりハードなスケジュールでした。今回の北京出張は、中国発展ハイレベルフォーラムへの出席ということで、このフォーラムは世界各国の著名企業のCFO、ノベール経済学賞受賞者等の研究者、世銀等国際機関のトップなどが集まり、世界経済・社会や中国を巡る諸問題を議論する大規模な会議です。会場となったのは、中国の国の迎賓館である「釣魚台国賓館」で、出入ばかりでなく園内の至るところでも厳重な警戒がひかれていました。私自身は理事長のお供で、一参加者として出席しただけですが、こうした世界で活躍する人たちは、一般の人々とは隔絶された雰囲気を醸し出しています。

 

さて、本日は江戸時代の宿泊施設「旅籠(はたご)」について紹介したいと思います。旅籠とは、江戸時代に宿場などで武士や一般庶民が利用した宿屋であることは、教科書や時代劇などで皆さんにもお馴染みかと思います。元々「はた」とは馬の餌のこと、「こ」は籠のことを指し、平安時代中期には、馬の飼料を入れて持ち運ぶ旅行用の籠のことを意味していました。

 

これが中世になると、宿駅に人が宿泊できる宿屋が出現して、馬の餌となる馬草を入れた籠を門口にぶら下げ、それを看板としたことから「馬駄餉(だしょう・だこう)」と呼ばれるようになり、後に転じて旅籠屋となったと言われています。こうした歴史があることから、旅籠には旅行中に食物や手回り品などを入れて持ち歩く籠やそれに入れた食物を指すこともあります。

 

旅籠が旅中における食事を提供する宿泊施設としての意味で定着したのは室町時代末期であったと思われます。室町時代には、「木賃宿」と呼ばれる宿泊施設が登場しますが、形式的にはこの木賃宿が発達したものが旅籠だと言われています。これが江戸時代に入り街道が整備されると、宿場ごとに多くの旅籠が開設されるようになりました。当初は領主や役人への宿泊提供が優先されていた旅籠も、社会が安定し諸国物産の流通が増え、公用、商用などの交通量が増加すると、食事のみならず沐浴も可能となり、一般の旅行者への対応も充実していきました。

 

旅籠には、「飯盛女(めしもりおんな)〔飯売女(めしうりおんな)、宿場女郎とも言う〕」とも呼ばれる私娼によるサービスを提供する遊興的な要素を有した「飯盛旅籠(めしもりはたご)〔食売旅籠(めしうりはたご)とも言う〕と、純粋に宿泊だけを旨とする「平旅籠」がありました。品川宿など遊所では圧倒的に飯盛旅籠が多かった一方、箱根や石部(近江国甲賀郡、現在の滋賀県湖南市)のように飯盛旅籠が1軒もなかった宿場もありました。また、旅籠の規模によって「大旅籠」、「中旅籠」、「小旅籠」に分類する方法もありました。その基準は宿場によって異なっており、通常は間口によって区分されていたようです。

 

旅籠の宿泊料金は1泊2食付で1泊200300文、現在の貨幣価値では3,0005,000円程度でした。夕食は、通常1汁2~3菜が標準で、こうした1泊2食付の旅籠の形態は、元禄時代(1688年~1704年)頃から始まったものと言われています。混雑時には相部屋を求められることもあったようで、特に当時往来の少なかった女性の旅客は、難儀したのかもしれません。

 

江戸時代中頃になると、飯盛女を嫌ったり、1人旅をする行商人などから安心して静かに泊まれる宿に対する要求が増えていきます。そこで、各地で旅籠による組合が結成されるようになりました。浪花組(後の浪花溝)では、主要街道筋にお墨付きの優良な旅籠を指定し、加盟宿には目印の看板を掲げさせ、組合に加入している旅人に所定の監察を渡して宿泊の際に提示させるようにしていました。また、『浪花組道中記』や『浪花溝定宿帳』を発行し、各宿場ごとに溝加盟の旅籠や休所を掲載し、道中記として役立つ道案内などの情報を掲載していました。

 

中山道の芦田宿(長野県北佐久郡立科町)や奈良井宿(長野県塩尻市)、薮原宿(長野県木曽郡木祖村)などには、今でも宿泊できる旅籠が現存しているようです。機会があれば、泊まってみたいところです。

 

高見澤

2021年1月

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このページは、東藝術倶楽部広報が2019年3月26日 07:38に書いたブログ記事です。

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