東藝術倶楽部瓦版 20190412:宇都宮以北白河以南-「奥州街道」

 

おはようございます。もうすでに桜の花が散り始めてしばらく経つというのに、暖かくなったり寒くなったりと、着ていく服装にも迷う毎日です。今日の東京は風もなく、少し暖かくなりそうです。本日も来客やM商事を交えた中国側関係機関との懇親会と、目まぐるしい1日になりそうです。

 

さて、本日は五街道の一つである「奥州街道」について紹介したいと思います。奥州街道は、江戸日本橋を起点として千住から白河へと至る街道で、正式には「奥州道中」と呼ばれていました。下野国宇都宮宿より南側は日光街道と共用されており、宇都宮伝馬宿の追分で日光街道と分岐していました。広義の意味での奥州街道は、白河以北の陸奥国三厩(みんまや)宿まで指すこともありますが、五街道としての奥州街道は白河以南を指します。

 

古代、陸奥国に至るには、下野国から白河関に入り、陸奥国を縦断する東山道の道がありました。このルートは中世にも「奥大道(おくのたいどう)」などと呼ばれ、基本的に変わることなく受け継がれていました。この白河関以北については、また改めて紹介していきましょう。

 

江戸日本橋から下野国の宇都宮宿までは日光街道と同じですので、宇都宮以北の白河までをみていきましょう。宇都宮から白河までは、両起点を除いて9宿、距離にして84キロメートルです。

下野国:[宇都宮]-白沢-氏家-喜連川-佐久山-大田原-鍋掛-越堀-芦野-〔8宿〕

磐城国:白坂-[白河]〔1宿〕

 

日本橋から宇都宮までは17宿、それを含めると白河宿まで27宿(白河宿を含む)あったことになります。奥州街道が完成したのは正保3年(1646年)のことで、日光街道に遅れること10年、中山道よりも48年も速く整備が進みました。

 

江戸時代、奥州街道は江戸と陸奥国(東北地域)や蝦夷地を結ぶ幹線として、東北諸藩の参勤交代のほか、物資の輸送などに大きな役割を果たしてきました。特に白河はその中継地点として賑わい、奥州街道沿線では宇都宮宿に次ぐ大きな宿場でした。現在、国道4号線旧道の栃木県宇都宮市以北の区間が奥州街道と呼ばれています。

 

高見澤