東藝術倶楽部瓦版 20190725:江戸の乗物その5-「輦輿」と「手輿」

 

おはようございます。一昨日の7月23日は二十四節気の大暑でした。大暑を過ぎて、やっと夏らしく暑い日が続くとの予報です。雷雨が頻繁に日本各地で発生し、梅雨明けも間近といったところでしょうが、大暑の次の二十四節気は立秋です。今年は8月7日、暦の上ではもう秋が近づいています。

 

さて、本日は前回の「輿」に関連し、いろいろな種類の輿について紹介してみたいと思います。前回、輿には大きく分けて、肩で担ぐ「輦輿」と手で持つ「手輿」の2種類があることを説明しました。先ずは輦輿についてどのようなものがあるか紹介します。

 

輦輿は、宝形造の屋根を上に載せ、轅を肩で担ぐ肩輿(あげこし)のことです。以下、主な2種類を紹介します。

 

1.鳳輦(ほうれん)〔鸞輿(らんよ)〕

屋根の頭頂部に鳳凰の飾りを載せた輦輿。天皇が即位、大嘗会(だいじょうえ)、朝覲(ちょうきん)などハレの行幸に使用される。

 

2.葱花輦(そうかれん)〔花輦(かれん)〕

屋形の頂に先の尖った丸い葱花に似た形の装飾品を載せている輦輿。天皇が臨時・略式の行事や、春日及び日吉の2社を除く諸社寺行幸に用いる。皇后、斎宮は葱花輦を使う。

 

一方の手輿は、轅を手に下げて腰の高さで運ぶ略式の乗り物です。主なものとして、以下のものがあります。

 

3.腰輿(ようよ)

轅に紐を結んで肩から掛けて手で輿を支える。天皇が、内裏内の移動や火事等の緊急の際に用いた略式の乗り物。後に、上皇や僧侶、公卿なども牛車の代わりに外出用として用いた。

 

4.網代輿(あじろごし)〔車輿(しゃよ)〕

網代車の車輪を取って轅を付けた形の腰輿。平安時代後期に貴族が使用するようになったが、後に親王、摂関家、清華(せいが)の家格に限定して使用。青竹を細く削って網代に組んで外側に張った屋形を設置。室町時代以降、轅を長くして肩にも担いだ。僧体6人の力者によって担がれた。

 

5.四方輿(しほうこし)〔板輿(いたごし)〕

網代を張って、四方に簾(すだれ)を掛けた腰輿。鎌倉時代中頃から現れ、上皇、摂関家、大臣等の公卿、僧綱(そうごう)などが遠方に赴くときに利用。僧侶の場合は屋根を反らした「雨眉(あままゆ)形」、俗人の場合は山形の屋根の「庵(いおり)形」にして区別していた。

 

6.小輿(しょうよ)〔塵取輿(ちりとりごし)〕

台座と高欄(手摺)から成り、屋根のない作りの輿。最勝会(さいしょうえ)の講読師が乗用。

 

7.張輿(はりこし)

筵(むしろ)を張った輿。罪人となった公家(くげ)を護送する際に利用。

 

8.塗輿(ぬりこし)

屋形に漆を塗った輿。公家の乗り物は庇(ひさし)付、武家と僧侶は庇なし。略儀に用いられ、江戸時代によく利用された。

 

9.白輿(しらこし)

白木作りの輿。

 

10.その他

坂輿(さかごし):山道などの通行を楽にするために、屋形を取り外して床のみにした輿。

神輿(しんよ)、舎利輦(しゃりれん):宗教用具。

 

高見澤

2021年1月

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このページは、東藝術倶楽部広報が2019年7月25日 09:18に書いたブログ記事です。

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