おはようございます。今朝は朝から騒がしいニュースが続いています。台風8号が宮崎市付近に上陸したのに続き、北朝鮮がまた飛しょう体を2回発射と韓国軍の発表したとの速報が流れています。日韓関係の更なる悪化、米中貿易摩擦による世界経済への悪影響など、安心のある生活というにはほど遠い現実です。明日8月7日から10日まで再び北京出張です。その後は夏休みということで瓦版は休刊とし、次回瓦版は8月19日(月)以降にさせていただきます。ご理解の程、よろしくお願い致します。
さて、本日からは陸を離れ、江戸時代の海路・航路について紹介していきたいと思います。先ずは江戸時代になぜ海路・航路の確保が必要だったかについてお話しましょう。
人や物資を運ぶ際に使われる交通手段と言えば、現在では自動車や鉄道の陸上輸送、船舶を使った海上・水上輸送、そして飛行機による航空輸送の三つの手段があります。このうち、最も安価で大量輸送できるのが船舶による海上・水上輸送です。江戸時代は自動車や鉄道、飛行機などは当然なかったわけですから、経済的にも物理的にも大量輸送は船舶に頼らざるを得ませんでした。もちろん、船舶輸送には難破や漂流といったリスクがあり、人や荷物が目的地に着くまでの日数もかかります。それでも船舶輸送が重宝がられたのは、そうしたリスクを冒してでも、安価に大量の人や荷物を運びたいという、経済的にも豊かな江戸時代ならではの需要があったからです。
戦国時代が終わり、江戸時代になると人々の生活が安定するとともに、経済が活発化するようになります。五街道をはじめとする主要幹線道路が整備され、陸路での輸送網が整備されたことはすでに紹介してきた通りです。一方、海路については、もちろん江戸時代以前から船舶による近距離輸送は行われていましたが、時代を経るに従って東北や北陸などの遠方から、江戸や大坂などの大都市へ人や物を大量に運ぶ需要が増え、全国各地をつなぐ長距離輸送を可能とする海路の開拓が必要となりました。
当時、江戸幕府にとって長年の課題だったのが、東北地方にある幕府直轄地「天領」から江戸への年貢米の安全かつ安価な大量輸送ルートの確保でした。それまでの輸送と言えば、陸路と海路の併用で、海路を使ったとしても近距離輸送が当たり前の時代ですから、とにかく荷物の積み替えに時間と労力、金銭の負担が大きくなっていました。ところが、産地から消費地まで積み替えなしで人や物資を運ぶことができる海路一本の直通ルートが開拓されることによって、江戸時代の物流の仕組みが大きく変わることになったのです。まさに「江戸の物流革命」と呼んでも良さそうな一大改革と言っても過言ではないかと思います。
次回は、「東廻り航路」と「西廻り航路」について紹介しましょう。
高見澤