東藝術倶楽部瓦版 20191120:【江戸の川その15】用水路を確保して新田開発-「六堰」

 

東藝術倶楽部会員各位

 

おはようございます。東京都心も大分風が冷たくなりました。つい先日、立冬を迎えたかと思っていたら、明後日1122日(金)は小雪です。今月は出張はなかったものの、来月12月8日(日)に開催する「日中省エネ・環境総合フォーラム」に向けた準備やら月刊誌の校正、委託調査の方針検討及び外部との調整、経済産業省やマスコミからの問い合わせ対応などで、結局十分に休める状態ではなく、時間が過ぎ去ってしまいました。とはいえ、こうした仕事も楽しんで進めるよう日々努力の毎日です。

 

さて、本日は「六堰(ろくぜき)」について紹介したいと思います。六堰とは、現在の埼玉県深谷市を流れる荒川沿いに作られた6箇所の堰の総称です。荒川の河口から約87キロメートル付近の場所にあり、もともとは江戸時代初期に作られたものですが、昭和時代にこの六堰を一つにまとめた「六堰頭首工(ろくせきとうしゅこう)」〔旧六堰頭首工〕が完成し、平成になってから更に改修工事が行われ、現在では「新六堰頭首工」と呼ばれています。

 

古来、荒川が暴れ川としてたびたび洪水被害を出していたことは以前にも紹介した通りです。洪水のみならず、渇水にみまわれることも少なくなく、そのたびに水をめぐって農民同士の諍いが起きていました。江戸時代初期、この荒川の水を取水し、用水路を確保して新たな田畑を拓くために6つの堰を設けることとなりました。

 

慶長7年(1602年)、現在の埼玉県熊谷市と深川市の境界付近の荒川に「奈良堰(ならせき)」を作ったのが六堰の始まりと言われており、十数年で約5キロメートルの間に6つの堰が相次いで作られます。6堰のうち最も上流にあるのがこの奈良堰で、下流に向かって「御正堰(みしょうせき)」、「玉井堰(たまいせき)」、「大麻生堰(おおあそうせき)」、「吉見堰(よしみせき)〔万吉堰(まんきちせき)〕」、「成田堰(なりたせき)」と続きます。これらの堰は、位置だけでなく、取り入れ口の幅や深さなどが細かく決められていました。詳細は以下の通りです。

 

奈良堰:下流に向かって左側(荒川北岸)、幅1.4メートル、水深27センチメートル

御正堰:下流に向かって右側(荒川南岸)、幅10.8メートル、水深42センチメートル

玉井堰:下流に向かって左側(荒川北岸)、幅11.7メートル、水深30センチメートル

大麻生堰:下流に向かって左側(荒川北岸)、幅21.6メートル、水深36センチメートル

吉見堰:下流に向かって右側(荒川南岸)、幅18メートル、水深23センチメートル

成田堰:下流に向かって左側(荒川北岸)、幅8.1メートル、水深63センチメートル

 

簡素に作られていた六堰は、荒川の氾濫により何度も流され、作り直さなければならなかったようです。これが現在の六堰頭首工への建設へとつながっていくのです。現在、六堰から取水する用水は総称して「大里用水」、或いは「六堰用水」と呼ばれています。

 

高見澤 

2021年1月

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このページは、東藝術倶楽部広報が2019年11月20日 09:19に書いたブログ記事です。

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