おはようございます。最近、企業の間でも江戸時代に対する見方が大分変ってきています。三井不動産が手掛ける日本橋界隈の再開発、日立製作所が進めるサスティナブルな社会を創り出す社会イノベーションなど、活気ある江戸庶民の生き方や環境に最大限配慮した循環型社会システムから学ぼうとする姿勢がみてとれます。もちろん、そんなことはこれまで我々が学んできて、当たり前だと思ってきたのですが、社会的にはほとんど受け入れられてきませんでした。それがここにきて一気に認められるようになったので、それ自体は嬉しいことなのですが、その反面、そうした運動を続けてきた我々のような存在に焦点が当てられないのが寂しいところです。もちろん、そうした評価を目的としているわけではなく、期待もしているわけではありませんが、何となく世の中の不条理を感じざるを得ません。
https://www.nihonbashi-tokyo.jp/revitalization/
さて、本日は「入間川(いるまがわ)」について紹介したいと思います。先月、台風19号の影響により氾濫した入間川ですが、現在の土木工学をもってしても自然の驚異を抑えることはできないことが、よく分かった事例ともなりました。
入間川は荒川水系の一級河川で、埼玉県秩父地方にある大持山(おおもちやま)〔標高1,294メートル〕の南東斜面、妻坂峠(つまさかとうげ)〔標高約800メートル〕辺りを水源とする全長67.3キロメートルの荒川最大の支流です。現在は、埼玉県飯能市、入間市、狭山市を流れ、成木川、霞川、越辺川などの支流を合わせて川越市で荒川に合流しています。飯能から上流部は「名栗川(なぐりがわ)」とも呼ばれています。
江戸時代、寛永6年(1629年)の荒川の瀬替え以前は、入間川は単独で現在の荒川の流路をとっており、下流の隅田川から江戸湾に流れ込んでいたことは、以前にも紹介した通りです。また、荒川も現在の東寄りの元荒川を流れて利根川に合流していたこともすでに述べた通りです。
江戸では火災が頻繁に起きていたことも以前紹介しましたが、その火災によって江戸では大量の木材の需要が生まれました。その際、この入間川を使って木材を秩父地方から運んでおり、入間川は江戸物流に重要な役割を果たしていたのです。入間川の上流部にあたる秩父山地の谷間は、杉やヒノキを中心とする「西川材(にしかわざい)」の産地であり、それらの植林、伐採、そして筏による飯能への流送は名栗や原市場(はらいちば)の集落が畑作の傍ら営んできました。西川材の名は、江戸の西の川から運んだことから自然にそう呼ばれるようになったそうです。
「入間川」と題する狂言があります。入間川に差し掛かったある大名が、土地の者が話す「入間詞(いるまことば)」と呼ばれる「逆言葉(さかことば)」を面白がって持ち物をすべて与えてしまいますが、最後にはそれを逆用して持ち物をすべて取り返すという話です。
高見澤