東藝術倶楽部瓦版 20200122:【江戸の川その34】経済的利用が限られていた「鶴見川」

おはようございます。気が付いてみれば1月20日の大寒も過ぎてしまい、今年は例年になく寒さを感じる間もなく春を迎えることになりそうです。中国から帰ったばかりのせいか、今朝もそれほど寒くは感じることもなく、少し歩くだけで汗ばんでしまいました。

 

さて、本日は「鶴見川(つるみがわ)」について紹介してみたいと思います。鶴見川は、東京都の南部から神奈川県の東部を流れる一級河川で、鶴見川水系の幹川です。東京都町田市小山田町の多摩丘陵にある泉を源泉とし、神奈川県横浜市鶴見区の河口から東京湾に注いでいます。

 

全長42.5キロメートル、流域面積は235平方キロメートルで、主要な支流の数は10河川〔矢上川、早淵川、鳥山川、大熊川、鴨居川、恩田川、麻生川、真光寺川、砂田川(二次支流)、梅田川(二次支流)〕とされ、平成17年(2005年)に大規模な浸水被害が懸念される「特定都市河川浸水被害対策法」に基づく特定都市河川に指定されています。その背景として、流域内人口の多さと流域内人口密度の高さ、そして市街地の度合いが他の地域に比べ抜きんでている現実があります。

 

鶴見川の源流は、東京都町田市上小山田町(かみおやまだまち)にある多摩三浦丘陵の低湿地・谷戸(やと)群の一角である田中谷戸の湧水を水源とする数本の細流です。源流域下端にある「鶴見川源流泉のひろば」を発した鶴見川は、町田市から神奈川県川崎市麻生区、横浜市青葉区、緑区、都筑区などを概ね南東に向かって流れます。緑区にある落合橋付近から東流し、港北区新横浜付近から蛇行しながら北に、そして東に流れ、鶴見区と幸区の間を南東に蛇行しながら向かい、鶴見区末広町・大黒町の河口から東京湾に注いでいます。その間、多くの支流を合流しています。

 見川の源泉である谷戸群の標高は80150メートルとかなり低く、上流部では1250、沖積低地の中・下流部では11,000の緩勾配となっており、また流域の大半が大きく起伏した丘陵や台地であったため、かつては特段開発されることもなく、自然豊かな景観が形成されていました。

 

鶴見川がこのように丘陵地と台地との間を蛇行しながら緩やかな勾配で流れていたために、河床が浅く、川沿いは低くて平らな沖積地が連なっており、昔から大雨のたびに洪水・氾濫が起きていました。これまで数々の河川で紹介してきたように、戦国時代末期から江戸時代にかけて、大規模な治水・利水事業と広大な新田開発が行われてきました。しかし、鶴見川流域では、水害に見舞われやすい土地条件などが災いして、江戸時代に入っても開発の規模は小さいものでした。

 

その一方で、江戸時代には河川舟運がこの鶴見川でも盛んに利用されるようになり、年貢米などの物資輸送が盛んに行われていたようです。とはいえ、鶴見川は河床の浅さや川の規模から往来できる船の大きさも限られ、利根川など江戸の北側の河川に比べ、経済的な利用価値も小さなものでした。

 

本格的に鶴見川の利用が始まるのは明治に入ってからで、新橋/横浜間に日本で最初の鉄道が開通、鶴見川河口では京浜工業地帯の基礎が築かれ始めました。現在、鶴見川の水は主に農業用水と工業用水に利用されていますが、生活用水のほとんどは流域外から導入されています。

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このページは、東藝術倶楽部広報が2020年1月22日 09:12に書いたブログ記事です。

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