東藝術倶楽部瓦版 20200124:【江戸の川その36】あなたはもう忘れたのかしら...「神田川」(上)

おはようございます。昨日も冒頭の話題とした中国での新型肺炎ですが、報道によると更に広がりを見せているようです。中国現地での日本人社会でも動揺が広がっており、各地で行われるイベントが中止されたり、仮に行われても極端に出席者が少なかったりと、感染の可能性を少しでも避けようとする防衛の動きがみられます。一方で、WHOは「中国国内では緊急事態である」としながらも、「国際的な公衆衛生上の緊急事態宣言」は見送っています。中国で新型肺炎によるものと思われる死者が18人と発表されていますが、その多くは大病を患っていた人が合併症で亡くなる場合や高齢者であり、そのようなことは通常のインフルエンザや風邪でも十分に起こり得ることです。中国政府も湖北省武漢を中心に2,000万人ほどの住民を隔離するなど、感染を食い止める措置を講じていますが、私としては、日本での報道も含め今回の騒ぎには相当な違和感を感じている次第です。

 

さて、 本日からはいよいよ江戸市中に大きな恵みをもたらした河川を紹介していきましょう。当然のことながら、江戸の都市化とともに、もともとの河川の流路を活かして人工的な用水や堀も整備されていきます。 飲料用水や生活用水の確保はもちろんのこと、灌漑用水や河川舟運など経済の発展を促す意味でも重要な役割を果たすよう整備するわけです。

 

そこでまずは、東京都内にある中小河川としては最大規模の「神田川(かんだがわ)」から始めたいと思います。神田川は東京都東部を西から東に流れる一級荒川水系の一級河川で、隅田川の支流として位置付けられています。我々の年代の方であれば、フォークグループの「かぐや姫」の楽曲のタイトルにもなっており、ギター片手に弾き語りをした記憶が懐かしいかと思います。

 

東京都三鷹市井の頭公園内にある井の頭池に源を発し、東京都区部を東に流れ、台東区と中央区、墨田区の境界付近、隅田川に架かる両国橋上手で隅田川に合流します。全長約25キロメートル、流域は105平方キロメートルに及びます。途中、中野区南部で「善福寺川(ぜんぷくじがわ)」、新宿区北部で「妙正寺川(みょうしょうじがわ)」など多数の小河川を合流します。かつては、上流部を「神田上水」、中流部を「江戸川」、下流部を「神田川」と呼んでいましたが、昭和40年(1965年)の河川法改正により、今では全体を神田川と総称しています。

 

神田川は、もともとは「平川(ひらかわ)」と呼ばれ、今の飯田橋付近から現在の日本橋川を通って「日比谷入江(ひびやのいりえ)」、すなわち江戸湾に流れ込んでいました。武蔵野台地などからの湧水や雨水を集めてできた平川ですが、潮汐によって現在の江戸川橋(文京区関口)まで海水が遡上し、沿岸の井戸も鹹水が混じるなど、飲料水には適していませんでした。天正18年(1590年)の徳川家康の江戸入府前後に、大久保忠行が「小石川上水」を整備し、これを基礎に作られたのが「神田上水」です。神田上水についてはすでに紹介していますので、ここでの説明は省略させていただきます。

 

江戸城を拡張するため、江戸前島の日比谷入江(ひびやのいりえ)を埋め立て東海道を整備、その西側に旧平川を導いて隅田川に通じる「道三堀(どうさんぼり)」とつなぎ、江戸前島を貫く江戸城の外濠(外濠川)を新たに開削しました。家康が江戸入府当初は徳川家が自前で行っていたこの普請も、慶長8年(1603年)の江戸幕府開府以降は「天下普請」として諸藩に大規模普請を行わせることになります。

 

神田川の紹介の続きは、次回に回します。

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このページは、東藝術倶楽部広報が2020年1月24日 08:05に書いたブログ記事です。

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