おはようございます。新型コロナウイルス感染による死者が、いよいよ日本でも出てしまいました。中国渡航歴もなく、中国人との接触も見当たらなく、感染経路が特定できない状況での肺炎発症とのことです。それはそれでニュースにはなり、亡くなられた方は気の毒といわざるを得ませんが、私としては最近のこのニュースの裏で密かに動いている「何か」が気になって仕方ありません。
さて、本日は「横十間川(よこじゅっけんがわ)」について紹介したいと思います。横十間川は、以前紹介した「北十間川」から柳島村(墨田区業平・江東区亀戸)で分かれて南側に流れる運河で、現在では一級河川に指定されています。「天神川」、「釜屋堀」、「横十間堀」、「横十間堀川」、「南十間川」などとも呼ばれています。
北十間川から分かれた横十間川は、北割下水と南割下水を合わせた後、堅川、小名木川、境川、仙台堀川と交差し、石小田新田(いしおだしんでん)〔江東区東陽七丁目〕で西側に向かい、豊住町(東陽五丁目・六丁目)で平野川(大横川)に合流します。竪川と交差する地点までは墨田区と江東区の境を流れる形になっています。
この横十間川も他の隅田川東側の水路と同じように、万治2年(1659年)に、本所奉行の徳山五兵衛重政と山崎四郎左衛門重政によって開削されたものです。江戸城に対して横、すなわち南北に流れ、川幅が十間(約18メートル)であったことから横十間の名称が付けられました。別名で天神川と呼ばれるのは、亀戸天神の横を流れることに由来しています。開削当初は天神川と呼ばれ、その後、横十間川と称されるようになったと言われています。
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