東藝術倶楽部瓦版 20200225:【江戸の川その50】東海道四谷怪談にも出てくる「隠亡堀」

おはようございます。せっかくの三連休も、新型コロナウイルス感染の影響で、外に出られてなかった方も多かったかと思います。私はといえば、相も変わらず忙しい毎日で、結局土曜日は終日出勤して原稿を仕上げていました。さすがに日、月曜日と家にはいましたが、情報収集と分析に努め、今日と明日の重要会議での情報提供のための手持ち資料の準備をしていたところです。それにしても、新型コロナウイルス感染の影響が、いろいろなところで出てきています。3月5日から予定されていた中国の全国人民代表大会の開催の延期が決まり、ニューヨーク株式市場での株価大幅下落など、政治的・経済的混乱が生じ始めています。社会不安にならないよう、各国政府は対策に躍起になることでしょう。

 

さて、本日は「隠亡堀(おんぼうぼり)」ついて紹介しようと思います。隠亡堀とは、江戸時代、深川砂村(東京都江東区)に実際にあった堀で、鶴屋南北作の歌舞伎狂言「東海道四谷怪談」にも場面が登場しています。

 

隠亡堀は、現在の東京都江東区扇橋と北砂の間の十間川に架かる「岩井橋」付近にあったとされています。ちょうど横十間川と境川が交差する辺りで、今は横十間川親水公園になっています。近くに「焼き場(火葬場)」があったことから、隠亡堀と呼ばれていたそうです。江戸時代、この辺りは江戸のはずれで、かなり寂しい場所であったことから、火葬場が設けられていたのでしょう。

 

「東海道四谷怪談」については別途紹介する機会を設けたいと思いますが、簡単に説明しておくと、題材は寛永年間(1624年~1644年)に、御先手鉄砲同心・田宮又左衛門の娘・お岩が婿養子に入った浪人・伊右衛門の浮気を苦にして自殺した話を潤色して怪談風に仕上げたものです。この物語の主要な舞台は雑司ヶ谷四谷町(豊島区雑司ヶ谷)ですが、その第三幕目が「砂村隠亡堀の場」となっています。

 

伊右衛門は、自ら惨殺した妻のお岩さんと、民谷家の奉公人・小仏小平(こぼとけこへい)〔田宮家に伝わる秘薬「ソウセキセイ」を盗んだ見せしめとして殺し、お岩さんとの不義密通の罪を擦り付けた〕を戸板の両面に打ち付け、神田川の雑司ヶ谷(面影橋辺り)からそれを流します。戸板は神田川から隅田川を横切り、小名木川へ入って横十間川へと流れ、砂村の隠亡堀へとたどり着きます。たまたま砂村に釣りに出掛けた伊右衛門がその戸板に出くわし、浮かんできた板には二人の死骸が...。

 実際に神田川から隅田川に流れ出たものが、下流の小名木川に入る確率は極めて小さいと言えるでしょう。確かに、上げ潮で隅田川を遡って小名木川に入り込む可能性がないわけではありませんが、正直言って非現実的な話です。そこは怪談だからと言えば、そうなのかもしれません。とはいえ、事実は小説よりも奇なり...ですから。

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このページは、東藝術倶楽部広報が2020年2月25日 08:04に書いたブログ記事です。

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