東藝術倶楽部瓦版 20200303:【江戸の川その54】渓谷を形成していた「石神井川」

おはようございます。我々中国との経済交流の専門団体でも、中国との行き来が止まっています。本来であれば、中国への出張も2、3回はあるのですが、予定されていたいくつかの重要イベントも延期となり、夏以降にずれ込むことになりそうです。そうなると、数多くのイベントが9月以降に集中して行われることになり、日程調整のみならず、複数の会議の準備や打ち合わせを同時並行で行わなければなりません。どう効率的に進めるのか、人の配置や進め方を工夫していくことになります。予定されている4月上旬の習近平国家主席来日もどうなるのか、早急なる政府の判断が待たれるところです。

 

さて、本日は「石神井川(しゃくじいがわ)」について紹介してみたいと思います。石神井川は、荒川一級水系に属する一級河川で、東京都小平市花小金井南町にある小金井ゴルフ場を水源に、北区堀船の隅田川合流地点までの全長25.2キロメートルの河川です。流域面積は61.6平方キロメートルです。

 

小平市を流れ出した石神井川は、西東京市の南を流れて練馬区に入ります。西東京市までの上流部は湧き水のみによって涵養される小河川で、流量は多くありません。練馬区に入ると、富士見池や三宝寺池、豊島園池などの湧水などを合わせて流量が増し、板橋区では田柄川を合わせて北区に入り、そこで隅田川に合流となります。

 

石神井川の水源は、今でこそ小金井ゴルフ場の敷地内にありますが、かつてはその西側にある小平市鈴木町の鈴木小学校にあったとされています。川の地形や埋め立て跡から、その痕跡を伺うことができるようです。

 

石神井川は、現在の板橋区加賀付近から谷の底が深くなり王子へと蛇行が続く渓流となっていました。「石神井渓谷」、「滝野川渓谷」、「音無渓谷」などと呼ばれていました。明暦2年(1656年)、永田九郎兵衛の普請により、現在の音無橋(北区)付近に石積みの堰堤(石堰)を設置しました。ちょうど王子神社と南側の飛鳥山の間です。これは、隅田川からの海水の遡上の防止と、旧石神井川の河道を流れる谷田川流域の利水のためであったと考えられています。石堰を落ちる石神井川本流は「王子の大滝」と呼ばれ、名所として絵図にも描かれています。この石堰で堰き止められた石神井川の水を東へ流したのが「石神井用水」です。別名、「王子川」、「音無川」と呼ばれています。

 一般に武蔵野台地を流れる河川は、縄文海進後の埋没谷上の沖積低地をゆったり流れていますが、この石神井川は例外的に音無渓谷のような峡谷を形成し、滝を落としていました。

 

石神井川の名称は、石神井村(練馬区)のを貫流していたことに由来しています。「石神(シャクジ)」とは、東日本に多い「ミシャクジ」信仰で祀られる神体の石棒を指します。村内には、昔からこの石神があり、これは三宝寺池(石神井公園)から出たとか、或いは井戸を掘っていたら土中から出てきたとか、言われています。別称で「滝野川」と呼ばれていますが、これは王子の辺りで滝の音を立てて流れていたからだと言われています。

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このページは、東藝術倶楽部広報が2020年3月 3日 12:39に書いたブログ記事です。

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