東藝術倶楽部瓦版 20201109:【江戸の町その36】いざさらば雪見にころぶ所まで-「長命寺」

おはようございます。この週末に米国大統領選の結果が出ました。民主党バイデン候補が勝利したわけですが、これからトランプ現大統領による抵抗が予想され、最終的な決着にはもうしばらく時間がかかるとのことです。バイデン候補の勝利宣言を聞いていると、これまでのアメリカファーストの方針が転換され、再び世界とのつながりを重視するグローバル戦略になると思われますが、世界が従来のような欧米中心のシステムに戻ることは考えられず、新たな世界秩序の模索が始まることでしょう。その中で、日中両国がどのような役割を果たしていくのかが注目されるところですが、現在の日本を考えるとタメ息しか出ません。

 

さて、本日は「長命寺(ちょうめいじ)」について紹介したいと思います。長命寺は東京都墨田区向島にある寺院で、もともとは「宝樹山常泉寺」と号していました。山号は「寶樹山(ほうじゅさん)〔寶珠山、寶壽山〕」、院号は「遍照院(へんじょういん)」です。宗派は天台宗となっていますが、本尊はなぜか阿弥陀如来です。弁財天も祀られており、隅田川七福神の札所ともなっています。また、東京三十三観音霊場の三十二番の札所にも指定されています。

 

長命寺の創建は平安時代に円仁によって開山されたとも言われていますが、その詳細はよく分かっていません。一説には慶長年間(1596年~1615年)とも言われています。寛永年間(1624年~1645年)に三代将軍・徳川家光が鷹狩りをした際に急に腹痛を催し、この寺の住職が加持した庭の井戸の水で薬を服用したところ、たちまち痛みが治まったことから、長命寺の寺号を与えたと言われています(家光ではなく、家康だったとの説もあります)。井戸の水は「長命水」とも呼ばれたとのことです。

古くは境内に弁天堂や芭蕉堂がありました。弁財天は河の神、水の神として祀られるわけですが、長命水が縁となって弁財天を祀るようになったようです。芭蕉堂は宝暦年間(1751年~1764年)に俳人・祇徳(ぎとく)が建てた自在庵の庵室に松尾芭蕉の像を安置したのが始まりだそうです。安政3年(1858年)に三世自在庵祇徳が庵を再興します。その際に芭蕉の雪見の句「いざさらば雪見にころぶ所まで」と刻まれた句碑を建立しました。芭蕉堂は幾度となく火災に遭い、関東大震災以後は復旧されていません。

 

長命寺と言えば、関東風の桜もちの発祥の地としても有名です。享保2年(1717年)に山本新六が隅田川の土手の桜の葉を塩漬けにした桜もちを考案して、長命寺の門前で売り始めたことが「長命寺桜もち」の由来です。桜の名所として花見の季節には多くの人が隅田堤を訪れ、この桜もちが大いに喜ばれたとのことです。

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このページは、システム管理者が2020年11月 9日 08:03に書いたブログ記事です。

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